“調査遠征隊の英国人メンバーの選考にまつわる陰謀は、1920年代の英国のエヴェレスト遠征隊に汚点を残すちょっとした陰謀を、そっくり真似た感がある。”


山岳史家でもあるヘムレブ氏は、BBC撮影班の内紛(最初から企画の中心にいたホイランドの締め出し)をこんなふうに総括します。


( ̄○ ̄) ……1920年代の隊員選考には、その人が持つ技術力だけでなく、素性が大きくものを言った。


当時のヒマラヤの探検家は、もともと北インドの国境開拓作戦の将校でした。だから当然のように大英帝国の「軍のOB連絡網」がエヴェレスト遠征の隊員選考を左右した。


( ̄○ ̄) とくに調査・ルート偵察が目的の1921年の第一次遠征隊がそうだった。軍歴が最も重視され、測量や科学的調査にも重きを置いていたから、初めに名が挙がった経験豊かなクライマーはジョージ・マロリーとジョージ・フィンチの2人しかいなかった。


フィンチは1922年の第二次遠征に参加しましたが、この人はオーストラリア生まれで名門校の出身でもなく、英国の階級社会に馴染む気もあまりなかった。マロリーのように山岳界の古老の受けが良くなかった為、第一次・三次遠征の隊員選考の際には名簿から外されました。


ヾ( ̄○ ̄;) それでは私も行けません。このメンバーでは年齢が高すぎて、登山経験も足りない。フィンチがいなければ成功はおぼつかない。


マロリーはクライマー視点からお偉方に意見し、「私は既婚者ですから、後先考えずに危険に飛び込む訳にはいきません」とまで言った。確かに第一次遠征ではひとりが体調不良で途中で脱落、もうひとりが亡くなり、それが遠征失敗の原因になった……


1922、1924年ではその失敗を踏まえ、登山に重きを置いた人選がなされます。ほとんど被っていますが、1924年隊の編成はこう。↓


【隊長】チャールズ・グランヴィル・ブルース将軍…陸軍グルカ連隊の伝説的指揮官。豪放磊落な人で現地でも有名。ただ体調不良のため途中でリタイア。

【副隊長→隊長】エドワード・フェリックス・ノートン大佐…熟練の登山家。隊員の意見を幅広く聞き、皆が納得して動けるよう指揮できた安定感のある人物。

ハワード・サマーヴィル…登山家、医師、絵も描けば作曲もできる多才な人。健脚を誇る。インド暮らしが長くスピリチュアルなものに抵抗無し。

ジェフリー・ブルース…ブルース将軍の甥。第二次遠征にも参加。

エドワード・シェビア…インド森林省のお役人。

ベントリー・ビーサム…登山家。サマーヴィルの友人。

リチャード・ヒングストン少佐…遠征隊ドクター。

ジョン・デ・ヴィア・ハザード…登山家。協調性に難ありと言われたが、第5キャンプまでそつなく登った。

ジョン・ノエル大尉…探検家、写真家、映画制作者。

ノエル・オデール…地質学者、英国山岳会会員。

アンドリュー・カミン・アーヴィン…オックスフォード大学で工学を専攻する大学生。海外登山は初めてだが機械に強い。

ジョージ・ハーバート・リー・マロリー…登山家、教師。


第二次遠征で最高度に達して実力は証明済みのョージ・イングル・フィンチは選ばれなかった。英国は後の1953年の南東稜の初登頂の際にも、英国人ではあるが小規模隊を好んだエリック・シプトンを締め出していました。


( ̄ー ̄)v- 保守的は閉鎖的と紙一重というか、ほとんど同義語。振り返ればずいぶん損をしてなかったかしら大英帝国……


そしてこちらは1999年の調査遠征隊。↓

【隊長】エリック・サイモンスン…インターナショナル・マウンテン・ガイド、及びマウント・レイニア・ガイド社の創立者の1人。

デイヴ・ハーン…高所クライマー、カメラマン。南極大陸最高峰ヴィンソン・マシフ登頂14回。1994年にエヴェレスト北東稜登頂。

コンラッド・アンカー…登山家。超高所は初めて。

ジェイク・ノートン…登山家。エヴェレストの隣のチョー・オユー(8201m)登頂者。

アンディ・ポウリッツ…登山家。1991年にサイモンスン隊長と共にエヴェレスト登頂。隊唯一の妻子持ち。

タップ・リチャーズ…登山家。チョー・オユー登頂者。

リー・マイヤーズ…医師。救急医療の専門医で、マッキンリー(デナリ)、アコンカグア、ヴィンソン・マシフ登頂者。

ダン・マン…地質学者、氷河学者

マイクル・ネルソン・ヌティーユ…地球物理学者

シェリーン・スコット…スポンサー担当

ヨッヘン・ヘムレブ…研究家、サポート・クライマー

ラリー・ジョンソン…遠征隊調整役


( ̄∀ ̄)v- 実際に登って調査するクライミング・チームは、最年長のサイモンスン隊長でも44歳。隊長が厳選した米国人クライマーの選考基準はこれでした。↓


「年季の入ったクライマーで、精神的重圧にも決して動じず、遠征隊の共通の目標をつねに忘れずにいられる人物」


( ̄○ ̄)/ あと、自由に行動してきた登山家よりも山岳ガイドの方が望ましい。なぜならガイドはクライミングの間、他の人々のために心を砕くように訓練されているからだ。


1999年の調査遠征隊の隊員選考基準は単純明快で、隊の目的にかなうものでした。さすがだ米国人、英国からおん出て、いろいろ無駄なモノを削ぎ落としとる。


写真の1枚目は1924年の英国隊のジョン・ノエル大尉。記録映画の撮影を担当し、遠征の宣伝のためポストカードを作った人です。


2枚目はそのポストカードと、きっちり自分たちのも作っていた1999年の調査遠征隊のポストカード。
“the MALLORY & IRVINE RESEARCH EXPEDITION”って文字が見えますね。


( ̄∀ ̄)v- エレクチオン、じゃなくてエクスペディションとは「遠征、探検」もしくは「遠征隊、探検隊」という意味で、英国がエヴェレストを目指すようになってから使われるようになった言葉。私はたぎるんです、この綴りを見ると………(笑)



あ、もっと鮮明な写真を見つけた。3枚目は前項に載せた1924年のアンドリュー・アーヴィンの写真。


そういうモノなのかよく分かりませんが、彼は金髪ゆえに「サンディ」という愛称がついていたとか。屈託のない、いい笑顔ですね。