写真は1枚目が1999年の調査遠征隊が踏み込んだエヴェレスト北面のノース・コル(北側の鞍部:標高7060m地点)と、隊に参加したシェルパたち。


( ̄∀ ̄)v- シェルパとはチベット系の山岳民族で、英国のヒマラヤ登攀史における重要な助っ人。その氏族名は今や、ヒマラヤ登山に不可欠な職能名になってます。


2枚目は1953年の、ヒラリー卿とテンジンがエヴェレスト南東稜から初登頂を果たした時の英国隊に参加していたシェルパたち。最近までネパール山岳協会の会長だった「伝説のタイガー」アン・ツェリンも、わずか16歳で参加していました。


( ̄∀ ̄)v- タイガー(虎)とは、初期の英国の遠征隊に参加したシェルパの中でも、彼ら自身も行ったことがない高みまでルート工作や荷上げをした勇敢な者を讃える称号。ヒラリー卿と共に頂上を踏んだテンジン・ノルゲイも、それ以前に高度8000m以上に達したタイガーでした。


( ̄○ ̄) 報酬なんて、昔は1ルピーと粥1杯だったね。


最初は道案内兼人夫でしたが、「虎はなぜ強いと思う? もともと強いからよ!」の喩えの通り(@花の慶次)、シェルパ族は生まれ育ちが高地のため、高度順応の度合いが平地人とは格段に違う。


加えてチベット仏教徒のためとても我慢強く謙虚で雇い主をよく立てるので、「サーブ(ご主人様)」と呼ばれて当然だと思っていた英国や西欧の登山家は次第に彼らに敬意を払うようになりました。


( ̄∀ ̄)v- 今のクライミング・シェルパはネパールの平均年収の10倍以上を稼ぐそう。キャラバンのポーターとしてもよく雇われ、1953年の英国隊に参加したポーターは350人、うち半分は女性だったそう。


3枚目は装備もすっかり世界基準で無双状態のアパ・シェルパ。エヴェレスト登頂回数21回の世界記録をお持ちの化け物です。
(さらに故人ですが、17時間弱の最速登頂記録と、頂上滞在記録21時間のバブ・チリ・シェルパがいる。もう人間じゃない)


ヾ( ̄∀ ̄)♪シェルパやってて一番稼げて長生きできるのは、遠征隊のコックですよサーブ。


1999年の遠征隊には、サイモンスン隊長が「あいつは凄い」というコックさんがお馴染みで参加。チベットのお寺で何年も修行して、チベット語・ネパール語・英語ができて、おまけに交渉上手。道々で高い通行料や関税をふっかけられると、爽やかに現れ値切ってくれる重宝なネゴシエイターでもありました。


( ̄ー ̄)v- 最近はたまに雇い主との乱闘もやる。外国人があんまし横暴だと、現在進行形で勇猛果敢なグルカ兵(ネパール山岳民族で構成される英国やインド軍の先遣隊)産地のDNAが覚醒するようです。


(; ̄ー ̄)v- WW1か2で日本人もやられとります。「対岸から見てたら日本人捕虜にバケツ持って近づいたから、水をあげるのかと思ったらガソリンで火をつけてた」というエピソードあり。怒らせたらアカン。


1999年の調査遠征隊にはサイモンスン隊長が選んだ屈強な米国人クライマーの他に、10人ほどのクライミング・シェルパがサポートで参加。彼らはポーターではなく、高所登山に特化した「タイガーの末裔」です。


( ̄∀ ̄)v- あとはBBC撮影班と、キャラバン専用のサポート隊。発起人ヘムレブとジョンソンの「いつかマロリーとアーヴィンを探しに行きたいね」が、総勢40名強の遠征隊に進化しました。


( ゜∀ ゜)/ いやぁ、デカい男だなぁ!!


カトマンズのホテルでヘムレブとジョンソンは初めてリアルに出会います。米国人のジョンソンはドイツ人のヘムレブを一目見てそう叫び、抱き合って「夢の実現」を喜びました。


オム・マニ・パドメ・フム
(おお、蓮華の座にまします宝珠よ)


キャラバンの始まりとエヴェレスト・ベースキャンプでは、高位のラマ僧を招いて登山の安全を祈願する儀式(プジャ)が執り行われる。エヴェレスト(チベット名ではチョモランマ)におわす女神に供物を捧げ、登攀用具を清め、キャンプには祈祷旗を掲げます。



(T∀T;)( ̄∀ ̄;) ………やっと来た………………


目前にそびえる「天空の女神」。一目見れば準備の煩雑さも、キャラバンの疲れも忘れるのは1999年隊のヘムレブ達も、1924年隊のマロリー達も同じでした。