( ̄∀ ̄;)v- 書いてる途中にチラホラ寄り道。


さっき世界まる見えテレビ特捜部で興味深いお話を見たので、強引につなげてみるわたくし。


ハイ↑これが「ヨーロッパ三大北壁」。上からマッターホルン、グランド・ジョラス、アイガーという山です。


( ̄∀ ̄)v- だいたいスイスのモンブラン山系にあり、イタリアとの境目にあったりします。標高はマッターホルンが4478m、グランド・ジョラスが4208m、アイガーが3970m。高さではヒマラヤ山脈に及びませんが、ヨーロッパ・アルプスの超ビッグネームです。


私は理由もなく「一番カッコいい山名はアイガーで、牧歌的なのはマッターホルンだな」などと思うのですが、写真を見て一番「こらあかん」なのはマッターホルン。3座とも北壁がいちばんヤバいそうですが、どうやって登るのコレ。切り立ちすぎやん。


( ̄ー ̄)v- 日本人初登は1965年、芳野満彦氏と渡部恒明氏。グランド・ジョラスの方は『神々の山嶺』の主人公らのモデルになった森田勝氏・長谷川恒男氏がしのぎを削った山ですな。


さて見るからに峻険で「悪魔が棲む山」と呼ばれたマッターホルンの初登頂は1865年7月14日、英国人のエドワード・ウィンパーを含む7人の登山家と山岳ガイド。しかし全員がロープで体を繋いで下山する途中に先頭の若者が足を滑らせ、7人のうち4人が墜落死してしまいました。


( ̄ー ̄)v- 生き残ったのは後方にいたウィンパーと2人のガイド(父子)。証言によれば、4人目と5人目を繋いでいたロープが先頭の若者の滑落の衝撃で切れてしまい、それが生死を分けたのだと……


その時使われていたロープは特注品の太くて丈夫なもので、事故直後は「切れる筈がない。後続の誰かが巻き添えにならないように断ち切ったんじゃないのか?」とメディアで騒がれた。登頂者で生還者のウィンパーはこれに反論します。


( ̄□ ̄;) 4人目と5人目の間だけ、山岳ガイドが細い普通のロープで結んでいた。だから切れたんだ!


その「切れたロープ」はマッターホルンの博物館に今も展示されており、確かに特注の太いロープではない。世間は知名度のあるウィンパーの証言を信用し、「事故の原因はそこだけ細いロープを選んだガイドにある」が定説になっていました。


( ̄ー ̄)v- しかし最初に足を滑らせた若者の子孫が当時の記録を調べまくり、事故のずいぶん後にウィンパー自身が「登頂前に太いロープを切った気がする」と書いた文書を見つけます。


初登頂の日、ウィンパーはこれが8回目のマッターホルンへの挑戦で、しかも同じ日にイタリア隊が登っていたので焦っていた。何とか先行して頂上が見えた時、彼はテンションが上がりすぎて自分と仲間を繋いでいたロープを切り、1人でズンズン登り切った。


-v( ̄○ ̄;) 特注の太いロープはそこで断ち切られ、帰りにまた結ぼうにも長さが足りず、だからガイドは仕方なく「予備に持っていた普通のロープ」で継ぎ足さざるを得なかった…………


酷い話やな。自分で切ったのを覚えていない筈がない。事故の直接の原因は先頭の若者の滑落だけど、特注のロープを普通のロープで継いでいなければ、4人は死ななかったかもしれない……


( ̄ー ̄)v- 今とは岩壁登攀の技術に違いがあり、今ならザイルをアンカー(金属製のくさび)で岩に固定したり、あえて全員をザイルで繋がないようですが、当時は「仲間が滑落したら全員で引き止める」のが主流だったそう。
(たとえ特注のロープでも、7人全員の墜落死もあり得た)


日本でも井上靖氏が『氷壁』という小説にしていますが、1955年に前穂高岳の東壁で当時最新の登攀用具だったナイロン製のザイルが切れて死者が出た。メーカーはなかなか認めませんでしたが、「切れる筈がない」と言われたナイロンザイルは、尖った岩に掛けた状態である角度で負荷を与えれば、切れてしまうモノだった………


( ̄ー ̄)v- 岩壁登攀とザイル切断と聞くと、「パートナーを巻き添えにしない為に自分で切る」ってドラマが浮かんだりしますけど、いろんな“切断”がありますね。


こうした「事故」から登攀用具の安全基準が見直され、さらに良い道具が生まれることもある。辛い教訓から学ぶ、みたいな。


しかし事故から100年以上経ってからの「マッターホルン初登頂の悲劇」の真相には、道具ほど単純に改められない人間の問題がありますね。「山は人生の縮図」とも言われますが………



( ̄ー ̄)v- インターバルよりちょっと真面目に、こんな寄り道をしてみました。