“このほど英人(サーブ)一行がチョモランマ山視察に来訪する事となり、一行はチベットの民に友好のしるしを示すはずである。”

“そこで、ベル行政官の要請を受け、先般、通行許可証を発行した。各村長はじめチベット政府の官吏臣民すべてにおいては、一行の必要とする輸送手段すなわち、乗馬、荷物運搬用家畜、苦力等を提供されたい。”

“一行がいずれに赴こうと、わが臣民はイギリス・チベット両国政府間の友好関係を維持するため、可能な限りの協力を惜しんではならない。

辛酉(かのととり) 宰相証印”


( ̄ー ̄)v- これは1920年代、まだ中国に占領される前のチベット政府が、エヴェレストに向かう英国人に便宜をはかるように道々の村長さんに出した通達。


この時代はネパール経由でエヴェレストに近づく事が出来なかったので、英国人はまず船でインドに行って、北インド高地のダージリンに集まって、そこから大きく迂回して徒歩でチベットを通りました。


(; ̄ー ̄)v- こんな可愛らしいスタンプしかなかったんでアレですが、これが1924年の英国隊と1999年の調査遠征隊の「登山口までこう行きました」図。英国から船旅で、インド経由で徒歩で、1920年代の登山家はどんだけ根気あったんだろう。


辛酉(かのととり)というのは干支の58番目の年で、西暦を60で割って1余る年がそれに当たるそう。まずはチベットの宰相が英国の1921年の偵察遠征隊に入国許可を出し、ダライ・ラマ13世が「大いなる雪の五宝の西、南の鳥の国、岩谷内寺院の最寄り、白いガラスの砦の管区内」に近づくのを許しました。


(T∀T;) ……しかしそれから4分の3世紀経った今、エヴェレスト遠征隊がチベットに入る許可を得るには、昔のような叙情的な部分は失われ、お役所仕事そのものになっている。


もうチベット政府が「昼夜を問わず、また前進中、停止中の如何にかかわらず、英国人が必要とする便宜をはかるように」とお膳立てしてくれた時代じゃない。


( ̄○ ̄;) エヴェレストが一番登りやすいのは、晩春から夏のモンスーンが始まるまでの数週間だ。あっちこっちの遠征隊や営業登山隊が殺到するから、早めに認可を得なきゃならん。


調査遠征隊長のサイモンスン氏は抜かりなく、このシーズンのエヴェレストの「狭い枠」を確保します。交渉窓口は中国/チベット登山協会というところで、登山許可・撮影許可・無線通信許可・衛星通信電話の使用許可………それらの煩雑な手続きごとを代行してくれるのが、営業登山隊のメリットなんですね。


(; ̄ー ̄)v- 個人じゃ登山口までも行けねーわよ。トレッキングではベースキャンプまで行けるツアーがあるらしいけど。


ここでも英国組が足を引っ張る。隊員はそれぞれの母国の中国大使館でビザを発給して貰えるように、中国政府から「ビザ発給許可」を取らねばならなかったんですが、天安門事件を大きく報道したBBCの撮影班が「お前らダメ」と言われてオーマイガー。


( ̄皿 ̄;) だからお前らも「ただのクライマーと名乗っとけ」とあれほど!!


手練れのサイモンスン隊長が奔走して何とか全員のビザが出たそうですが、BBCが約束してた入金を渋ったため、隊長は手続きごとで10万ドルほど前払い+登攀隊員に「後で払うから!」と飛行機代を立て替えてもらったりしたそうです。


(; ̄○ ̄)v- 登頂請負業……ハードやな……………


ヾ( ̄○ ̄;) スポンサーにはアウトドア用品メーカーが5社、高エネルギー食品会社などが数社。遠征予算の30万ドルをほぼ達成した!


単に山登りが上手いだけでは務まらない。サイモンスン隊長はサクサクと遠征の段取りをつけ、合計7トン半もの隊荷を揃え、食料も揃えます。


(; ̄○ ̄)/ 食料は大きく2つに分ける。1つはベースキャンプや前進キャンプでコックが料理する食材で、これはカトマンズで買い込めばいい。

ヾ( ̄○ ̄;) あと1つは高所キャンプでクライマーたちが使うパック入り食料だ。米国から300kg持って行く-----加圧調理缶入りのイージーチーズやタコスチップス。軍の放出物質店で仕入れた陸軍のレーション。何もかもだ。


ちなみに1924年の英国隊の買い物リストでは、特に目立つのは「ウズラ肉入りフォアグラの缶詰60個、シャンパン4ケース。しかもモンテベロ産の1915年物」。


(T∀T;) えらい違いだな……………


マロリーやアーヴィンの1924年隊も段取りや物質調達・運搬にそうとう難儀したとの事ですが、著者のヘムレブさんは力なく「HAHAHA……」。


(; ゜д ゜)/荷物はデカく、飯は大量!レトルトでも軍の払い下げ弁当でも、栄養つきゃいいんだわ!!



甲斐性のカタマリのようなサイモンスン隊長の奔走ぶりが、心底からすがすがしい。彼らはカトマンズ入りしたBBC撮影班を「入金を終えねばバスには乗せん!」とゆわし、最後の最後まで紆余曲折を経て、長いキャラバンを経て東ロンブク氷河-----ベースキャンプ地に到達します。