( ̄○ ̄) 俺の船に乗るか?


マロリー/アーヴィン調査遠征隊の隊長となったのは、インターナショナル・マウンテン・ガイド社のエリック・R・サイモンスン。この人は1973年から登山ガイドを務め、高所登山の経験は世界七大陸で70回超え。マッキンリー(デナリ)の登頂回数16回、エヴェレスト行き7回というつはものでした。


( ̄○ ̄) いいか? 客を山頂まで登らせるのが目的の営業公募隊に、空席を2つ3つ買って行こうなんてのはダメだ。このプロジェクトに的を絞った遠征隊が必要なんだ。


夢いっぱいのヘムレブさん達は意外にも、“高山登頂請負業”のサイモンスン氏から「お前ら本気出せ」とハッパをかけられます。


( ̄○ ̄)/ 調査隊をエヴェレストの高所まで上げるってのはな、誰かを山頂まで上げるのと同じくらい費用がかかる。酸素だって、サポートだって、荷上げ運搬だって同じくらい必要だ。相当な金額になるぞ。だいたい20万ドルから30万ドル。資金集めによほど力を入れないと無理だ。


サイモンスン氏はちょうど同時期に別メディアの企画でエヴェレスト南面への遠征隊のオファーを受けていましたが、彼も「戦前のエヴェレスト登山史の謎」と聞いて黙っていたら山男の名が廃(すた)る。共同発起人のラリー・ジョンソンは、実務面オンリーのサイモンスン氏との初対面の記憶をこう振り返ります。


(; ̄∀ ̄)ゞ ……自分のしようとしている事がよく分かってないというのは、すごいものだ。

(; ̄∀ ̄)ゞ 不可能だって事も分かってないんだから。


最初の発起人のヨッヘン・ヘムレブはドイツ人。
共同発起人となったラリー・ジョンソンと遠征隊長のエリック・サイモンスンは米国人。
個人的に調査遠征に熱いモチベーションを持つBBCのグレアム・ホイランドは英国人。


しかし英国組は「戦前からのお前らのお国柄か」とウンザリされるほど揉めていて、この遠征記録で視聴率が取れるのかとギリギリまで煮え切らなかったBBCや、抜け目なくノンフィクションを書くつもりだった人間の締め出しなど、いろいろ面倒臭そうでした。


( ̄○ ̄;) 変わらねぇなあ。

( ̄○ ̄;) 相変わらずだなあ。


「不可能だって事も分かってないんだから」というラリー・ジョンソンの述懐は、ヘムレブに言わせれば「19世紀から20世紀初めまでの大英帝国とおんなじ」なのだそう。


( ̄ー ̄) 当時の大英帝国は「何事も成せばなる」という単純素朴な信念によって数多くの探検家を輩出して群を抜いた国家になったが、その理由はひとえに、あるいはもっぱら、軍事力にあったのではない。

( ̄ー ̄) 本当の理由は、国民としてのイギリス人が、地図上に1ヶ所でも空白の部分があることに我慢ならなかったという事だ。

( ̄ー ̄) そうした空白部分を埋めるのが単なるスポーツではないという考え方が、彼ら(イギリス人)にはできなかったらしい。………


エヴェレストは大昔は単に「ピークXV」という測量記号で呼ばれており、インド測量局(英国の植民地時代)が世界最高峰と認めたのが1852年。エヴェレストという名はインド測量長官のサー・ジョージ・エヴェレストにちなんだものですが、当のエヴェレスト卿は「どの山も現地名を尊重するべき」という考えだったのに、英国地理学協会がそう通してしまったそう。


それまでは確か、今では世界第3位のカンチェンジュンガが最高峰と思われていたんじゃなかったかな。1800年代にインド方面でブイブイ言わせていた英国人の探検家はたいてい軍人で、ある意味無駄に闘志がありました。


ヾ( ̄□ ̄;) 北京からゴビ砂漠を横断し、カラコルムの山々を越える度の途中にギャガーーーン!!

ヾ( ̄□ ̄;) なんだあの高峰は!! あまりの高さ!! あれがK2か!! エヴェレストはもっと高いとなると、何と言う手ごわい目標だろうかアッ-----------!!


なんかもう川口探検隊のノリ。バカは高いトコ登る。でも極地探検やヒマラヤ登山とは昔はそういうもので、1924年に亡くなったマロリーの手記にもそうした記述はとても多かった。


「打ち負かされて降りてくる自分の姿なぞ、とても想像できない」

「この冒険は、これまでになく必死なものとなっていきそうな……」

「もう一度、そしてこれが最後-----そういう覚悟で、私たちはロンブク氷河を上へ上へ前進していく。待っているものは勝利か、それとも決定的敗北か」


( ̄ー ̄)v- 今もヒマラヤなどの高山の遠征隊では、頂上に向かう隊員をアタック(攻撃)隊員と呼ぶ。登山とは山への挑戦で、登頂を勝利とする感覚は戦前の英国由来なんですね。


だから1920年代のマロリー達は、まさにその時代のクライマー。登山経験は浅く、もっぱら酸素器具などのメカニックの腕を買われて遠征に参加したアーヴィンでさえ、日記には「あの山(エヴェレスト)をやっつけてやるぞ」と無邪気に書いていました。


しかし登頂に成功したのは、1953年5月29日のエドマンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイだった。


英国隊ではありますが、ヒラリー卿(後にサーの称号を与えられた)はニュージーランド人でテンジン(英国からタイガー勲章を授与されていた)はシェルパ。


英国の世界最高峰制覇のニュースは、新女王エリザベス2世の戴冠式と抱き合わせで華々しく伝えられましたが、英国は本来なら「生粋の英国人」を頂上に立たせたかったのでは。


既に1920年代のマロリーの時代から、英国の山岳界は遠征隊の人選で国籍にこだわって、あえて有能なクライマーを選ばないような閉鎖的なところがありました。


マロリーの後の時代、1930年代には後のヒラリー卿/テンジンの快挙をアシストする形でエヴェレストのルート探索を手がけたエリック・シプトンという稀有なクライマーが存在したけれど、少人数隊を好んだ人なので、派手な大規模遠征隊を好む英国山岳界から疎まれ、1953年隊には参加できませんでした。


( ̄ー ̄)v- このエリック・シプトンが有名な「キングオブ雪男の足跡の写真」を撮ってきた。UMA愛好家界でも偉人です。



階級社会で伝統や面子にこだわる英国色は1999年の調査遠征隊でも健在で、BBCは現地で体調を崩したグレアム・ホイランドをベースキャンプからカトマンズに送り帰す。しかしそれを命じた上司は次は自分がもっとヤバげな状態に陥っても帰りませんでした。


( ̄○ ̄;) あれ死ぬんじゃないのか?

( ̄ー ̄;) なんかなぁ。ホイランドを追い出したかっただけみたいだなぁ。



端で見ていたヘムレブさんやジョンソンさんは、「やっぱりイギリス人はイギリス人だなぁ」としみじみ思う。


(; ̄∀ ̄)v- 移動大好きゲルマン民族と、英国からおん出たご先祖がルーツの米国人。時に白人さんが「欧米って言うな!」「一緒にすんな!」と言うのには色々あるんすね。