ようやく1999年のマロリー/アーヴィン調査遠征隊の活躍記録に到達しました。


( ̄ー ̄)v- 1枚目が1999年の捜索隊で、2枚目が1924年の英国隊の主要メンバー。およそ75年の時を経て、この2つの遠征隊がエヴェレストで交錯します。


1999年隊のメンバーの中央でしゃがんでサムズアップしてるのが発起人のヨッヘン・ヘムレブ。そして枠外がヘムレブに「あなたの研究報告を読んだよ」とメールした米国人のラリー・ジョンソンと、BBC(イギリス放送協会)のグレアム・ホイランド。ジョンソンは遠征隊の調整役で、ホイランドは隊に随行したBBC取材班の副プロデューサーです。


( ̄∀ ̄)v- ジョンソン氏はアウトドア関連書籍の出版コンサルタントで、ペンシルバニア山岳協会長を務めた事もあり。ホイランド氏は1924年の英国隊のサマーヴィル隊員が大叔父にあたるという人で、自身も登山家。「大叔父がマロリーに渡したカメラをぜひとも回収したい」という個人的モチベーションもあって隊に参加しました。


ただ入山までにはかなりの困難があり、それはエヴェレスト登山にはつきものの問題なのですが、とにかくお金がかかる事と思い通りの顔ぶれや物資や手続き事が円滑に進むかどうか。


発起人のヘムレブはまだ27歳の一介の大学生なので、まずスポンサー探しが容易じゃない。最初に米国のジョンソンと調査遠征隊の構想を温めて、1924年の英国隊のドキュメンタリーを制作しようと考えていたBBCのホイランドが加わりますが、当のBBCは隊がカトマンズに着くまで煮えきらず、入金も終えていなかった……


(ノ△T) ……1924年の英国隊も似たようなものだった。世界最高峰の初登頂の素晴らしさを国民にアピールしても、国民からの寄付金は10ポンドだった。


アマチュアの山岳史家のヘムレブはそう語る。国家プロジェクトだった戦前の英国隊でさえ、映画制作者の隊員が広報用にポストカードや切手を作って「偉業」をアピールしていた。いつの時代も、エヴェレスト登山はまず登る前に膨大なお金やエネルギーが必要なんだ………


ヾ( ̄○ ̄;) 1999年にエヴェレスト北面隊員を募集してる営業公募隊があるから、そこに便乗して調査したら?

(; ̄○ ̄) それじゃ調査をメインにできない。他の隊員も、登るだけじゃなくて調査ができる面子でないと意味がないよ。

( ̄∀ ̄;) この営業登山隊はいいぞ。エヴェレスト北面に顧客を連れて行くが、目的は登頂でなく顧客を8000m地点まで確実にガイドするんだってさ。費用は12000ドル、格安だ!


12000ドルで格安。確か1996年のエヴェレスト南東稜の大量遭難の際の営業登山隊の参加費は日本円で7~800万円(入山料込み)だった。今はエヴェレストの入山料はかなり割引されてますが、それでもひとり100~200万円はいくんじゃなかったかな。


(; ̄○ ̄) 最初に考えてた営業登山隊だと、ベースキャンプに行くまでで15000ドル……安いな。


高度8000mまでは行くという事は、『エヴェレスト初登頂の謎』の著者トム・ホルツェルやヘムレブが「少なくともアーヴィンの遺体はその辺りにある」と考えていた場所に行けるという事。



かくして1999年のマロリー/アーヴィン遠征調査隊は、費用12000ドルのインターナショナル・マウンテン・ガイド社の営業登山隊の軒を借りる事になりました。