写真は標高8580mのセカンドステップ。〇印で囲んであるのが、1975年の中国隊がそこに残したアルミ製の梯子です。


(; ゜д ゜) 人間梯子でセカンドステップ登っただと!? あり得んわ!!


↑よく分からんけど、それより前に1960年に北東稜を征した中国隊に懐疑心バリバリの生き神メスナー。いや、同じアジア系から言わせてもらうと、あの国はやりかねん。男塾の万人橋のような光景がいま脳裏に。


2枚目はその梯子をありがたく使わせてもらう1999年の調査隊。(使えるのか!!)
さすが米国人、笑てるでオイ。高度8560mで酸素ボンベ無しでで笑てるでオイ……


( ̄∀ ̄) あの梯子はむしろ邪魔だった。


↑そして爽やかに証言する登攀隊のあんちゃん。曰く「マロリーの技量なら1924年に梯子無しでも登れたはず。だが、まだ先のルートが未解明な時代という留保はつく」……


( ̄ー ̄)v- では安楽椅子探偵好みの「謎」の続きを。


「1960年の中国隊は本当に登頂したのか」が解明済みの謎で、次は「ロープとテントポールの謎」。1960年の中国隊の隊長だった史占春という人が、1982年に「セカンドステップの下、高度8500m地点でテントの柱と1束のロープを見つけた」と証言しました。


( ̄○ ̄;) ……マロリーとアーヴィンは、それを置いて行ったのか?


しかしこの証言は、1998年にボストン在住の中国人研究家が謎解きをしてくれた。中国語で書かれたかの国の登山史の本には「史占春たちは高度8300m地点で昔のキャンプ跡を見つけた」とあり、それは1933年の英国隊の第6キャンプ跡のことでした。


( ̄ー ̄)v- 1999年5月のマロリー・アーヴィン捜索隊も、そのキャンプ跡を見ました。意外とずっと残ってるものなのね。


次も解明された謎で、「1924年の英国隊の記録映画に、頂上雪田から下降する2つの小さな点が写っている」というもの。本当ならあまりにもストライクど真ん中な、マロリーとアーヴィンが登頂した証拠になりますが……


(ノ△T) 岩でした。


著者ヨッヘン・ヘムレブはコンピュータ処理され画質を上げた記録映画のコピーをガン見し、登山家の目で「あんな雪庇(雪が積もって崖から張り出しているもの)が崩れそうな場所にクライマーは入らない」と思い、他の遠征隊の記録映画にも写っているし、自分らも現地で確認します。


(ノ△T) ……雪がちょっと被れば見えなくなる。どう見ても岩だ。。。


これは以前レビューを書いた角幡唯介氏のノンフィクション『雪男は向こうからやって来た』でも味わったデジャヴ。ヒマラヤの雪男も、遠くから見た岩や野生動物がとても、とてもとてもとても誤認されやすいんですね。ああ無情。


( ゜д ゜) ……謎は明かされた。


この「記録映画に写る小さな2つの点」については、著者ヨッヘン・ヘムレブ氏は実に味のある余韻を残してくれてます。


( ゜д ゜) -----しかし、自分たちの見ているものが露岩だと分かっていても、ノエル大尉(1924年英国隊メンバー)の撮った映画の場面には、やはり心を奪われる。


( ゜д ゜) 壮大な頂上ピラミッドから、雪煙の羽根飾りがごーごーと吹き出し、世界の頂点からつづく最後の斜面に見える2つの小さな点………エヴェレストの亡霊。


目を皿にして検証しまくった後のイイ解脱感が漂いますが、本書の原題が『Ghosts of Everest』なのを見ると、この検証だけで1本の映画が作れそうですね。観てみたい。



謎はあと2つ。いったん休憩に入る前に、そこまで頑張ってみます。