「わたしの旧友ジョージ・マロリーの、エヴェレスト登山に関するしばしば引用される発言『それ(山)がそこにあるから』は、いつもわたしの背筋に冷たいものを走らせた。それは少しもジョージ・マロリーらしい匂いがしないのだ」

---------ハワード・サマーヴェル/1964年 アルパイン・クラブへの告別の辞より



( ̄ー ̄;)v- さあ情報量との戦いだ。


さきの天下のユニヴァーサル配給の映画『エヴェレスト』は、ぶっちゃけて言えば1996年5月の大量遭難事故の当事者だったジョン・クラカワー氏のノンフィクション『空へ』をなぞったもので、文章ほど深みのある作品ではありませんでした。


( ̄ー ̄)v- その時エヴェレストにいて生還したベック・ウェザーズ氏は『死者として残されて』。生還したがその年にアンナプルナで亡くなったアナトリ・ブクレーエフ氏は『デス・ゾーン8848M』という著書で経緯を振り返っている。同じ遭難事故ではありますが、「その時どこにいたか」「どんな立場だったか」で、読み比べると見方がいろいろ違うものだなと感じたものでした。


1996年の「エヴェレストの悲劇」に居合わせたのは2つの営業登山隊と台湾隊で、ジョン・クラカワー氏とベック・ウェザーズ氏は同じ営業登山隊の顧客。アナトリ・ブクレーエフ氏はもう1つの営業登山隊のガイド。登頂から下山にかかるまでに時間がかかりすぎ、嵐に捕まった彼らの判断力は著しく低下し、クラカワー氏は著書『空へ』の中で、とんでもない勘違いをしていた事を明かしています。


ヾ( ̄○ ̄;) 私が標高8400mの<バルコニー>から下り始めた時、あんたは前の方を歩いてたよ。次に見たのは<サウス・コル>を横切って行くところだった。

ヾ( ̄○ ̄;) そこで私は小さなクレバスに落ちて、何とか抜け出したらもっと深いのに落ちた。しばらく経って脱出すると、誰かがヘッドランプをつけて氷に座ってた。誰かは分からなかったが、ちょっと話した後、私は滑って転んだ。


後に別の営業登山隊の顧客と話したクラカワー氏は、「そこで少し話をしたのが自分だ」と気付く。彼は彼で、目の前で転んで滑っていきかけたのは同じ隊のガイドだったと思っていて、その若者はクラカワー氏の証言によって「サウス・コルの縁を踏み越えて滑落死した」とされていました。でも違った。遺体もない。彼はどこで、何があって死んだのか分からない……


( ̄○ ̄;) 彼の肉親や親しい人たちを、必要以上に悲しませた………


クラカワー氏は包み隠さずそれを著書に書き、「自己弁護だ」「自己正当化している」という非難を受けました。しかしそれは、超高所ではそれだけ人の認知・判断力は覚束なくなるという事でもある………


( ̄ー ̄)v- この覚束なさが1996年の出来事で、これはエヴェレストが1953年に初めて登頂された後、だんだん「登ろうと思えば登れる山」になり尽くしてからの事でした。


しかしそれより72年前、未だに推測でしか語れない遭難事故がありました。それが「そこに山があるから」という言葉で知られる1924年のジョージ・マロリーとアンドリュー・アーヴィンの遭難死。アーヴィンは確認されていませんが、マロリーの遺体は1999年5月1日に発見されました。


当時は国威掲揚のために、世界各国の登山隊がヒマラヤの8000m峰に挑み続けていた時代。英国は1921・22・24年に3回連続で最高峰エヴェレストに遠征隊を送りましたが、初登頂には1953年まで待たねばなりませんでした。


ジョージ・マロリーは初期の3回の遠征にすべて加わっており、3度目の挑戦で行方を絶った。英国は4回の捜索隊を出しましたが、遺体を見つけたのは1999年の米国の捜索隊でした。


マロリーと同行者のアーヴィンのどちらかが、頂上アタックの際にコダックの小型カメラを持っていった筈。もしそのカメラが見つかれば、「頂上から撮った写真があるのでは?」「彼らは登頂していたのではないか?」という長年の論争に決着がつく……


( ̄ー ̄)v- エヴェレスト登山史が塗り替えられるのか?


1924年6月の7日か8日が2人の死亡推定日で、消息を絶つ直前、少し下から彼らの姿を垣間見た隊員がいた。長年の論争のうちにその記憶にも疑問が抱かれたり、当人が訂正をしたりしています。


( ̄ー ̄)v- ……その場にいなかった者、いた者との感覚の違い。年月が経つにつれて入り込む色んな複雑なモノ……



しまいには「そこに山があるからだ」にも疑義が向けられる。エヴェレストとはそういう山、としか言いようがない……


しかし1920年代の遠征隊のいでたちは凄いですね。まだダウンジャケットとか無い時代は、これでエヴェレストに登ろうとしてた。今の目で見ると衝撃的です。


3枚目はジョージ・マロリーとアンドリュー・アーヴィン。マロリーはイケメンで鳴らした人で、アーヴィンは陽気でよく笑う若者だったそうです。