3月22日 午後1時30分。
標高5550m地点の大雪原に足を踏み入れた延原たちは、白い雪野原の中で風にはためく黄色いものに気がついた。

それはテントの残骸で、爆風クラスの風に晒され続けて、わずかに1本残った支柱に絡まり先端だけが旗のように揺れていた。辺りをくまなく調べた延原は、「坂下はいったんここにテントを張ったものの風が強すぎて放棄したのだろう」と考えた。-----それに、2月20日にここまで下りてきたオーストリア隊は、坂下が雪洞にいたと証言している。テントの周りに装備や日用品が無いことから考えて、雪洞はここからそう遠くない場所にあるに違いない。後から合流した柘植らのグループと手分けして、彼らは周辺一帯に散らばった。

マッキンリーは遠くから見れば幾多のピークがせめぎ合う山群だが、伊達に全長240kmの偉容を誇っている訳ではない。徐々に雪混じりになる強風を遮るものもなく、不意を突かれて倒れたところで、待っているのは凍った雪と岩肌のみ。-----隊員たちは幾度もそんな地面にピッケルを突き立て吹き飛ばされないよう身体を支え、すぐ近くにいる仲間の姿さえ見失いそうになる風雪の中で捜索を続けた。そして捜索開始からおよそ2時間後、江端と今野の2人によって最初はオーストリア隊の、次に坂下の残した雪洞が見つかった。

雪洞は吹きすさぶ風雪に埋もれていたが潰れてはおらず、入り口に垂れる茶色のフライ(テントの上に張る布)や入り口脇に突き立てられたままのクレバス転落防止用のポールが、誰かが確かにここにいたという実感を今も留めていた。主を失った雪洞の前で江端はしばし立ちつくし、言いようのない空しさを感じた。

-----はかない、と江端は思った。自分とて今までに何度もクライマーの死を見ている。大学時代には冬の鹿島槍で背負っていた仲間が息を引き取る瞬間を全身で受け止めたし、プロになってからはアンナプルナのクレバスにパートナーの遺体を葬りさえした。だが、それらのあまりにも生々しい死とは違い、この雪洞にはまだ坂下の匂いや息遣いのようなものがはっきりと残っていた。なのに、その肉体も魂も既にないというのは一体どんな冗談なのだろう。江端は決して感傷的な人間ではなかったが、この時芽生えた感情は「はかない」としか名付けようのないものだった。

背後の今野に促され、江端は雪洞の入り口に垂れ下がるフライに手をかけた。ガラスの粉のような細かい雪がざあっと音をたててこぼれ落ち、雪洞の中に日射しが入る。今野は入り口に立って待ち、江端はゆっくりと身を屈めて中に入った。

江端は94年のK2遠征隊で、坂下と同じテントで過ごした事があった。だから坂下の几帳面さはよく知っていた。-----狭い雪洞の内部は無駄なくきれいに片付いており、装備や生活用品が外から吹き込んだ雪を薄く被って残っていた。寝袋やコンロ、調理器具などを1つ1つ雪を払いながら確認していくうちに、江端はふと表情をこわばらせた。

「……どういう事だ?」

ただならぬ声に、入り口にいた今野が身を乗り出した。江端はそれに振り返り、放心したように呟いた。

「どうしてだ?-----食糧と燃料が、まだたくさん残ってる……」


今野も怯えたように目を見張り、2人は無言で顔を見合わせた。その時、轟々と唸る風の音を引き裂くように、辺りにホイッスルが響き渡った。雪洞からさほど遠くない地点を捜索していた延原たちが、ついに遺体の元に辿り着いたのだ。