だが、いよいよ捜索に向かおうという翌12日の早朝、デナリ国立公園管理事務所のロバート・サイバート所長から全員が息を飲む情報がもたらされる。

「先程、公園レンジャー隊が上空から、標高5550m地点のデナリ・パス付近で人間と見られる物体を確認した」

病院で沢野に付き添う箕輪を除くすべての隊員が言葉を失った。
2月初旬から今日にかけて、マッキンリーに入山した登山隊は日本隊とオーストリア隊だけである。オーストリア隊員のすべての消息(氷河をスキーで下ろうとした隊員は、第一次捜索の際に遺体となって発見された)が明らかになった今、それが誰であるかは言うまでもない。予測はしていても、はるばる海を越えてやって来た隊員達は皆肩を落としてうなだれた。

サイバートの言葉は続いた。

「2月20日にオーストリア隊が5500m地点で日本隊員を確認してから既に18日が経過し、その間、行動可能と推定される日が数日あったにも関わらず日本隊員は下山していない。そしてこの報告から見て、生存の可能性はないと判断する。だが、あなた方が独自の捜索活動を行うのであれば、我々も可能な限り援助させて頂く」

隊長である大塚は迷った。-----遺体が発見され、その位置が特定された以上、搬出にあたる一部の隊員を除いた他の者は帰国させるべきだろうか。大塚は名古屋の対策本部にファックスで送る報告書を書きながら、一度は捜索隊の撤収を決意したが、心の底からそれを納得する事ができない。「人間のように見える物体」を見つけたのはあくまでも現地のレンジャー隊で、遭難の状況も所詮は推測にすぎない。自分たちが直接見聞きした訳でもない情報を繋ぎ合わせるだけの報告書など、ただの辻褄合わせにすぎないのではないか?……

これではマッキンリーに心が残り、去るに去れない。12日の夜中、報告書を書きあぐねた大塚は隊員たちを呼び、

「我々の手で遺体の確認と状況調査を行いたいと思うがどうか」

と相談した。隊員たちにも異存はなく、当初からの予定通り、延原の指揮で全員がマッキンリーに入山する事になった。大塚はその決定を国際電話で対策本部に伝え、そこに来ていた坂下の姉が三枝に促されて受話器をとった。

「……ご説明はすべてお聞きしました。弟のために、皆さんにご迷惑をおかけして申し訳ありません」

その声は力なく沈んでいたが、口調はしっかりしていた。

「直海の行動や考え方は、私より皆さんの方がよくご存知だと思います。-----ですから今後、遺体が確認されたとしても、皆さんがその場に置いたままにしておいた方が良いと判断されたなら、どうかそのようになさって下さい。そうなっても、家族に異存はございません。それよりも、どうか皆さんの身に間違いのないように……それだけをお願い致します」

大塚は何とも言えないやりきれなさを覚えた。-----坂下自身、山で決して少なくはない死を見てきていた。自分にもエヴェレストやアンナプルナで消えた仲間を捜索した経験があり、遺体を回収できないのがどれほど虚しい事か分かっている。それでもなお、取り乱した様子もなく気丈に振る舞う坂下の姉には「必ず連れて帰ります」という短い言葉しかかけられなかった。

本部への報告の後、彼らは入念に捜索計画を練り上げた。

「ランディング・ポイントに沢野が残したベースキャンプに1人が残り、タルキートナとの連絡を受け持つ。隊は3つのグループに分かれ、2グループは遺体があると見られる5550m地点を徹底的に捜索。残る1グループには、独自に前進キャンプを設営しながら頂上まで登ってもらう」

それが大塚と、現場隊長となる延原が打ち出した捜索計画だった。

「坂下が登頂後に遭難したのか、登る途中で遭難したのか分からない。それを調査するためだ。-----ただし登頂隊は何よりも安全を優先し、天候その他の状況から登頂が無理と判断したら速やかに下山するように。二重遭難だけは絶対に起こしてはならない」


登頂隊には広江、菅原、斗賀野の3名が、5550m地点捜索隊には延原以下6名が、そしてベースキャンプに残るのは明石と決まり、彼らは翌13日の早朝にカヒルトナ氷河上のベースキャンプに降り立った。-----頂上を踏むのが目的ではなく、あくまで捜索・調査隊。遭難の痕跡を確実に把握するために、全員が装備の他に双眼鏡やカメラ、ビニール袋、メジャー等を携帯した。