2月25日 午後8時30分。
吹雪の勢いが弱まったのを見計らい、沢野は絶えず沸かし直しておいた湯をテントのファスナーにかけて氷を溶かし、久し振りに外に出ようとした。

だが、テントからほんの少し顔を出してすぐに後悔した。-----針のような寒気が剥き出しの顔面に突き刺さり、皮膚が悲鳴を上げて我に返った。手を伸ばせばすぐそこに目出し帽やゴーグルがあったのに、そんな基本動作さえ忘れていた自分に腹が立ち、沢野は悪態をつきながらファスナーを閉め、小さなガスストーブの前にどっかりと座り込んだ。

(確かに、人の声を聞いた……)

そう思ってテントから出ようとした自分に身震いが出た。何をしている訳でもない。ただ留守番をしているだけなのに、もう幻聴が始まったのかと思うだけで背筋が寒くなった。

今夜も嵐が完全に治まる気配はない。夏期でも数日続くのはざらだという猛吹雪は、日毎に勢いを増していくように思われた。缶詰のスープを温めながら、沢野はここからさらに上の様子を想像した。-----標高2150m地点のベースキャンプでさえこの有り様なら、もっと高い場所は一体どれだけ凄まじいんだろう? 無線機は20日の早朝に4400m地点からの定時連絡を伝えたきりで、それから今までひそとも鳴っていない。

「こちら坂下。元気か? 現在4400m地点、ウィンディ・コーナーを抜けた所にいる」

なにせ、それがこの5日間で他人と交わした最後の言葉だった。いちいち記憶をたどるまでもなく、沢野はその一言一言を頭の中で何度も反復させていた。


「元気です。風は大丈夫ですか? 下もけっこう荒れてますけど」

「動けないほどじゃないから大丈夫。何とか予定通り行けると思うよ。-----沢野?」

「はい?」

「元気でな」


あれから5日、朝晩2回と決めていた定時連絡は途絶えたままだった。こちらから呼びかけても応答はなく、無線機の不調かと思いバッテリーを何度も新しいものに取り替えてみたが、結果は同じだった。

それ自体はあまり気にならなかった。無線機は相手が岩場などの死角にいれば電波が届きにくくなる事もある。心配事と言えばただひとつ、人の手ではどうする事もできない上部の気候条件だった。

(……風速はどこまで上がってるんだろう。それに視界や雪面のコンディションは?……坂下さんが無茶をする筈はないが、行動中に突発的な暴風に襲われたら?……)

不安を誰とも分かち合えないテントの中で、それまでは考えもしなかった「大丈夫だろうか」という思いが徐々に形になり、大きくなっていく。-----いや、坂下は厳冬期マッキンリーに登るのは2回目で、前回も登頂している。それだけでなくエヴェレスト、K2。そしてヨーロッパ3大北壁も登り切ったベテランだ。その技量や高所における無頼なまでの強靭さを、今回初めて海外遠征に出たばかりの自分がどうして疑えるのか。

千切った食パンをスープに浸して黙々と口に運びながら、沢野は自分の気の小ささに溜息をついた。そして、こんなにも心細く胸が騒いで仕方ないのは、ひとえに今自分が置かれている環境のせいだと決めつけた。絶え間なくテントを叩きつける暴風と、寒暖計がその役目を投げ出しそうになる寒波。「地球上で最も苛酷な気候に晒される」という山に独りでいるためだと。


バタバタと旗のようにはためき続けるテントの中で、沢野の思考力は徐々にまとまりを失い、拡散していった。まだ経験の浅い沢野は、それが衰弱の始まりとは気づかなかった。人が住むことを許さない極地は、ただそこにとどまるだけの人間の神経を蝕み始めていた。


午後10時35分。再び、テントの外で人の声がした。