この山は1794年に初めて歴史の記録に姿を現す。アラスカ沿岸を航行中のイギリスの航海士が「北の水平線上にそびえる素晴らしい雪山」と日誌に書き記したのがそれで、北米先住民はデナリ(大者、もしくは最も偉大な山)と呼んでいた。

独立峰に見えるが正確にはひとつの山ではなく、21もの頂上を持つ巨大な山群。それぞれのピークはどれも3000m以上の高さを有し、最高点は標高6194mの南峰。山群はアラスカ山脈の中心をなし、全長は240kmの長きにわたる。

さらに、その山群は世界最大級の氷河をいくつも抱え込んでいる。長さ50km以上のものを3つ、60km以上のものを2つ。その最長のものが、南峰の南西面下に伸びる全長74kmのカヒルトナ氷河だった。

マッキンリーは古くからその存在を知られていたものの、1913年になるまでその頂に人間を立たせなかった。高さでこそ「世界の屋根」ヒマラヤ山脈の数多の高峰には及ばないが、この山はそれに比肩するだけの苛酷な自然条件を備えていた。

この山は北緯63度。距離にしてヒマラヤ山脈の世界最高峰エヴェレストよりも3862kmほども北に位置し、その緯度は北極圏からわずか3.5度しか南にずれていない。これは気候条件が北極圏と殆ど変わらないという意味で、実際、マッキンリーでは四季を通じて気温が0度以上になる事がない。

5、6月でも平均気温は零下30度。冬はさらに40度、50度まで下がる。その上、成層圏から下降してきたジェット気流が時速100km級の風となって吹き荒れる暴風の巣でもあり、これが「マッキンリーに登るのは極地探検に等しい」という通説の由来となっている。

森林限界線から上の標高は世界最高。雪に覆われた稜線の垂直距離もまた世界最大級。限りなく極地に近いこの山の登頂の難しさは、とくに厳冬期には、同じ厳冬期のエヴェレスト登頂のそれを凌ぐと言われている。


その厳冬期のマッキンリーで今、2人の日本人が低温と暴風に耐えていた。-----沢野健は標高2150m地点のベースキャンプのテントの中で。そしてもう1人はさらなる上部-----少なくとも標高5000m以上のどこかで。