中世のキリスト教圏で火刑がもっとも苛烈な刑罰だったのは、焼き尽くして遺体を残さず、死後に最後の審判を受けさせないからでした。


( ̄ー ̄)v- 最後の審判で神に罪を裁かせず、人が代行してしまう事でもあった。


同時に古来から火は浄めで、カトリックの教義では「地獄に落ちるほどではない罪人」は天国と地獄の中間にある煉獄で罪を焼き浄められて天国に行くか、最後の審判を待つ。彼らを焼く炎はケリー氏にとっては地獄の業火かもしれませんが、ミリアムや赤ちゃんにとってはどうなのか?


長い夜が明け、いつの間にか消防車が来ていた。消防隊員がホースで水をかける先には、黒く炭化した遺体が白煙をあげてます。


バシャアアア……


水を浴びて煙をあげながら、黒焦げの棒きれみたいになった遺体がだんだんはっきり見えてくる。しかし不思議なことに、ひとつの遺体から徐々に黒い変色が洗い流され、傷ひとつない素肌があらわれます。


( ̄○ ̄;) ………?


ミリアムだった。彼女はゆっくりと身を起こし、火傷ひとつない体を見下ろします。


ケリー氏は焼け死に、赤ちゃんも焦げて溶けた車の残骸と見分けがつかなくなっていた。彼女だけが生き残り、降り注ぐ水の中でゆっくりと我に返ります。


( ̄○ ̄;) ……あの子が守ってくれたのね。


( ̄ー ̄;) 私を愛してくれたからだわ。


( ̄○ ̄;) 私の息子だから……


顔を仰向け、ひっそりとそう噛みしめるミリアム。それがラストシーンでした。


( ̄ー ̄)v- ケリー氏はミリアムの脆弱さや未成熟さを見抜いていて、「お前は常に父親と息子を欲しがっていた」と言った。


彼女は花婿さんと花嫁人形の置物を毎晩のお祈りのためのイコンにしており、確かに庇護者や子供(守る対象:それにより一人格として自立できるモノ)を欲しがっていた。それには間違いなかったんすね。


( ̄ー ̄)v- 家族が欲しかったけど、悪魔崇拝者がお膳立てした「家族」は受け入れがたい。けれども、生んだ悪魔の子は自分を生き残らせた……


本当に燃え尽きたのか。ミリアムに同化してはいないのか。その辺は観客には分からず、「悪魔の子でも愛してくれた」とミリアムが実感するまでで終わります。これはいかにもイタリア流。


本作のミケーレ・ソアヴィ監督は、「十分な資金があれば優れた幻想映画が撮れただろう」とも評されますが、家族を優先して映画監督業からは身を引いたそう。師ダリオ・アルジェントよりもテンポやメリハリに難がありますが、そういう方だと知ると印象が変わりますね。


( ̄∀ ̄;)v- いろいろ忙しくて、つい長々とレビューを書いてしまいました。正直ここまで長く書かんでもよかったかも。


前半にたびたび暗示されたローリング・ストーンズの意図ははっきり表されなかったかな。明言はされてませんが、多分「悪魔を憐れむ歌」を意識したとは思います。


( ̄ー ̄)v- 本作の英語圏のタイトルには「Devil's Daughter(悪魔の娘)」ってのもあり、そうするとまた解釈が違ってくる。ミリアム自身が悪魔の血筋なら、このラストはまた別の余韻を残しますな。



あまりにも『デモンズ』ではない作品で、単体のオカルト映画として観るものかと。


長々とあざっした!