初出は1842年、雑誌『グレアムズ・レディース・アンド・ジェントルメンズ・マガジン』に掲載。原稿料は12ドルだったそう。


『赤死病の仮面』
(原題:THE MASQUE OF THE RED DEATH)


( ̄ー ̄)v- 数ページで終わる短編小説ですが、繰り広げられるイメージの豪華絢爛さ、ラストの派手な滅びっぷりが映像向き。演劇やオペラにも向いており、「巨大シャンデリアは落とすもの」な『オペラ座の怪人』にも取り入れられてます。


初めて読んだのはスティーヴン・キングの『シャイニング』に引用されていたくだりでしたが、モダンホラーに引用されても違和感がなく、設定を比較的近代に変えたショートフィルムやアニメーションもたくさん作られてます。


しかし1964年のヴィンセント・プライス主演の映画がやはり最高峰。プライス様の演じるプロスペロ公の激シブぶり、気品と威厳のある悪者ぶりが素晴らしい。いま映画化するなら誰が演れるか……


( ̄∀ ̄)v- 物語は「赤死病」という致死率100%の疫病が蔓延する中世で、お城に閉じこもって饗宴を繰り広げるプロスペロ公とその取り巻きが全滅する話。いつ果てるとも知れぬ仮面舞踏会の場に異様な男が紛れ込み、その造型はすべての特殊メイク職人を「俺にやらせろ!」と奮い立たせる最高の異形では。



“赤死病が国で猛威をふるい始めてもうずいぶんになる。”


“病名の「赤」は血、血の色、血の恐怖を表している。全身の痛み、突然のめまい、毛穴からの出血、そして死。とくにその顔を覆う深紅の汚れを見ると誰も近づこうとせず、仲間さえ寄りつかない。発症から死までわずか半時間。”


中世ヨーロッパでは度々ペストが蔓延し、黒死病(The Black Death)と呼ばれました。それによる大量死、世情に基づいた絵画や彫刻の様式が「死の舞踏」。骸骨が宴会してたりする作品が多く、ラテン語の「メメント・モリ」(死を思え:人はいつか死ぬ)をもうちょっとダイレクトにした「死は全てに勝利する」って概念です。


( ̄ー ̄)v- 王侯貴族も庶民も等しく骸骨になってる作品が多く、厳格な階級社会だった中世ヨーロッパでも死は平等。それでもおフランスでは豪華な舞踏会をやってたとかで、ポーはそこから着想を得たようです。


“しかしプロスペロは陽気で豪気で賢明な公爵だった。領内の人口が半分まで減ると、宮廷の健康で元気のよい騎士や貴婦人を千人選び、城の奥にある建物に引きこもった。”


それは大きく堂々とした建物で、公爵の「派手て変わったもの好き」な性格が大いに反映されていました。建物の周りには高く堅牢な鉄の門があり、公爵は内側から門の閂(かんぬき)を溶接し、絶望や狂気に駆られた者が飛び込んだり飛び出したりできないようにさせます。


“食料の備蓄はたっぷりあった。こうして彼らは伝染病を防ごうとしたのだ。”


( ̄○ ̄) 外の世界は放っておけばよい。


“嘆くことも考えることもない。娯楽にも事欠かないようにしてあった。道化師、即興詩人、バレリーナ、楽士、美女、ワイン、内側にはこうした楽しみと安全があり、外側には赤死病があった。”


究極のエゴ、史上最大スケールのゴージャスな引きこもり。閉じこもってから5ヶ月か6ヶ月が過ぎ、外の世界では残り半分の領民が赤死病で滅びつつあるさなか、プロスペロ公はそれまでにない盛大な仮面舞踏会を開き、千人の男女をもてなします。


( ̄ー ̄)v- この会場のしつらえには、数多の舞台演劇やオペラや映画の美術担当さんが「ここは俺が!」と意気込みそう。


“その舞踏会は豪華にして壮麗。会場には七つの大広間があり、公爵のとっぴな趣味を生かして不規則に配置されていた。”


“普通は広間と広間を仕切る扉を開け放てば端から端まで見渡せる。しかしここでは隣の広間はほとんど覗けず、二、三十メートルおきに急に曲がり、曲がるたびに趣向の違う広間が続く。”


“広間の窓はどれもステンドグラスで、その色は広間の内装に合わせてあった。東端の内装は青で統一され、窓も目がさめるような青。その隣の広間は装飾もタペストリも紫で、窓も紫。”


こんな感じで、第3の広間はオール緑、第4の広間は橙、そして白、菫(すみれ)色と続くのですが、最後の西端の第7の広間がことに異様でした。


“最後の広間は、襞(ひだ)をたっぷり取った黒いヴェルヴェットのタペストリが壁の上から下までを隙間なく覆い、床の絨毯も黒。しかしここだけは窓の色が内装と異なり、深紅ーー濃い血の色だった。”


( ̄ー ̄)v- ダリオ・アルジェント御大やデヴィッド・リンチ監督がアップを始めそうな広間ですな。


どの広間にもランプやシャンデリアといった照明器具はなく、広間に沿った廊下で篝火が焚かれ、その明かりがステンドグラスを通して広間を照らすという趣向。東端から青・紫・緑・橙・白・菫色という夢幻空間が続きますが、西端の黒い広間では「血の色の窓から射し込む光が黒いタペストリを照らすさまは異様で、人の顔まで不気味に染まる」ため、どんなに大胆な者も寄りつきません。


そしてまた、この黒い広間の西の壁には巨大な黒檀の置き時計があり、振り子が物憂げにゆっくりと揺れている。分針が文字盤を1周するたびに内部の真鍮の肺が澄みきった大きな深い音をたてますが、それはとても風変わりで強烈だったので、楽団は思わず演奏を中断し、踊り笑いさざめく人々もしばらくフリーズしてしまいます。


(; ̄○ ̄) …………。


( ̄ー ̄;) …………。


(; ̄~ ̄) …………。


それが自分たちが寄りつかない「黒の間」から聞こえてくる事や、軽やかな音楽とはあまりにも違う音なのがもたらす束の間の正気タイム。若者は青ざめ、年長者は眉をひそめて黙り込みますが、時計の音が止むと再び楽しくざわめきます。


( ̄∀ ̄;) あらやだ、ホホホ……


(; ̄∀ ̄)/ 次に鐘が鳴る時は、こんな真似はやめましょうか!


ところがまた1時間経って鐘が鳴ると人々は途端にフリーズしてしまい、「不安と身震いと黙考が辺りを支配する」。
それを除けば舞踏会は愉快で華やかで、過激で大胆な発想に定評のあるプロスペロ公の意向で、出席者はみな奇抜できらびやかな扮装を凝らしていました。


まずグロテスクである事。けばけばしく、きらびやかで、派手で、夢幻的である事。このコンセプトをもとに、辺りにはあえてちぐはぐな取り合わせの奇怪な衣装や、狂人が考えたとしか思えない滅茶苦茶な扮装、美しいもの、とんでもないもの、怖ろしげで少なからず不快感を催す扮装をした人々が闊歩していました。(衣装さんが「出番だ!」と奮い立ちそう)


楽団は音楽を奏で、ダンサーが舞い、軽業師が芸を披露する。その周りで大勢の男女がダンスを踊り、楽しげに生を謳歌する。そんな饗宴はまるで永遠に続くお祭り騒ぎのようでしたが、



“やがてヴェルヴェットの部屋に立つ黒檀の時計が時を打つと、辺りは静まり返り、夢は凍りついたかのように立ちすくむ。”