はっきりとした雪男捜索でヒマラヤに行った日本人は鈴木紀夫氏より前にも幾人かおり、いちばん古いのは1959年の、東京大学の小川鼎三氏による遠征隊かな?


( ̄ー ̄)v- 後援は毎日新聞社だったとの事。見つからなかったので、代わりにガンジス川の川イルカを調査してきたという根性者です。(クジラの研究で有名らしい)


1950年代はヒマラヤ登山史が賑やかになった時代で、この時代のイエティ捜索は割と学術的。その後8000m峰全14座が登頂され、それ以外の高峰も登りまくられるにつれ、ヒマラヤの神秘性は減じていきます。


そして日本では1970~80年代に高まったオカルトブームとのコンボで、テレビの特番でUFOやUMAが脚光を浴びる。1971年には日本テレビのディレクター・谷口正彦氏が捜索に向かい、さらに1974年には「元・日本テレビ局員」になってコーナボン谷に行ってました。


( ̄ー ̄)v- これは著書を読まねばなるまい。


( ̄ー ̄)v- 天下のナショジオも出してきておるか。


( ̄ー ̄;)v- ちょ、おま、ネッシーてオイ。買わずにおれんだろうがオイ……


雪男に惹かれてヒマラヤに行った人というのは他にも存在しましたが、やはり鈴木紀夫氏の6回というのは多すぎる。角幡氏はかつて谷口正彦隊に参加したカメラマンの尾崎啓一氏を訪ね、「鈴木氏との温度差」を確かめます。


( ̄∀ ̄) 1974年の3月から4月にかけて行ったね。まずはアンナプルナ周辺で捜索した後、二手に分かれて谷口隊長はエヴェレストのあるクンブ地方、僕はコーナボン谷に向かったんだ。


これはなかなか隙のない捜索地チョイス。エヴェレスト周辺は1920年代から主に英国登山隊による雪男の目撃情報があり、由緒正しき雪男捜索のメッカ。そしてアンナプルナ山群やダウラギリ山群の周りは当時、目撃が頻発していた場所でした。


芳野満彦氏がダウラギリⅣ峰を登山中に雪男を目撃したのは1971年5月。しかしその1ヶ月前には、ダウラギリⅤ峰をめざしていた長野県の県稜山岳会が標高5500m地点のアイスフォール(氷瀑:崩壊した氷河の吹き溜まり)で謎の足跡を発見し、翌年にはダウラギリⅣ峰を登っていた日本岩登協会隊が標高5700mのキャンプで就寝中に「ウォーー!!」というもの凄い鳴き声を聞き、翌日に足跡を見つけていました。


-v( ̄○ ̄;) ウォーー!!は怖いなぁ。けっこう日本人も遭遇(?)してるんだな。。。


コーナボン谷に向かった尾崎啓一氏は、この時に雪男らしき動物を3度目撃したそうで、『雪よ雪山よ雪男よ』という著作も出していた。目撃したのはコーナボン谷の標高3200m地点の周辺で、最大7~8頭を見つけて撮影していた。特に3度目の目撃現場はグルジャヒマール南東稜で、のちに鈴木紀夫氏が目撃した場所。そして《イエティ・プロジェクト・ジャパン》が捜索対象にしている場所でした。


( ̄○ ̄) ……その時に目撃した生き物について、今はどう思っておられます?


尾崎啓一氏に尋ねると、回答は意外に慎重でした。


( ̄○ ̄) 岩場で見たのは7~8頭で、雪男の家族がくつろいでるような雰囲気だった。


( ̄○ ̄) 歩いてるのも立ってるのも座ってるのもいたね。ゴリラっぽく見えたのもあるけど、鹿の可能性もあると思う。四足動物が急な岩場をよじ登るところを後ろから見ると、二足歩行に見える事もあるからね。


尾崎氏はのちに雑誌に掲載された写真を見せてくれましたが、やはり遠景なので「二本足で立ってるように見えなくもない」感じ。続いて夏休み期間に新宿伊勢丹の《雪男探検展》用に作られた9分間ほどの映画を観せてもらうと、


( ̄□ ̄;) はやっ!!


クライマックスに、グルジャヒマール南東稜の雪の斜面を横切る黒い影が映っていた。それは小さな黒い点が素早く雪面を駆け、岩の亀裂を飛び越えるというアグレッシブな映像でした。(み、見たい……)


※2009年にポーランドのタトラ山脈で動画が撮られたイエティは、「生きが良すぎるイエティ」と呼ばれるほど激しく動いてました。(後に「スターリンの負の遺産!猿と融合させられた兵器人間だった!」とか東スポに書かれた)


( ̄○ ̄;) ……熊じゃないっすか?


角幡氏はそう言いかけますが、そこは堪えた。そして改めて「目撃されたのは雪男だと思いますか?」と冷静に尋ねます。


(; ̄○ ̄) ……かもしれない。


長い年月を経たためか、尾崎氏はやはり慎重に答えます。


(; ̄○ ̄) 撮った瞬間は雪男だと思ったけど、冷静に考えると熊かも猿かも鳥かもしれない。やっぱりもっと正確な映像じゃないと分からないよね。


( ̄○ ̄) 今でも雪男はいると思いますか。


(; ̄ー ̄) いると思う。


そんな尾崎氏が教えてくれたメルアドには「yeti」という文字が入っていた。尾崎氏はその後も1998年にカンチェンジュンガの周辺で雪男捜索を行っていましたが、「本格的な捜索じゃなくて、郷愁めいたトレッキングに近いものだった」との事でした。


尾崎氏は鈴木紀夫氏に何度か会ったことがあり、鈴木氏が撮った「雪男の写真」も見ていました。


( ̄ー ̄) ……鈴木さんは、なぜ6回も雪男を探しに行ったんでしょうか。


( ̄○ ̄) 写真を撮って、かなり自信を持ったんじゃないかな。「雪男だと思う」って言ってた。


( ̄○ ̄) もうほとんど執念だよね。僕はそこまでじゃなくて、でも心の底の片隅に依然として興味は持っているけど、そんなにのめり込むほどじゃないって事だよね。


今は控え目にそう語る尾崎氏も、自分が撮った写真が掲載された雑誌には、力強く「私は見たのだ!」と書いていた。それだけ心を揺さぶられたのは鈴木氏と同じですが、なぜ彼は鈴木氏ほど雪男に取り憑かれなかったんだろう?……



分からないでもない。その点においては、鈴木氏は「俺が見つける」と意気込む高橋隊長とも違う。


鈴木氏には雪男しかなかったんだ……