鈴木氏の奥さんは駅の改札口の向こうで待っており、恐縮する角幡氏を近くの日本料理屋さんまで案内してくれました。


(* ̄○ ̄) これが、ご覧になりたいとおっしゃっていたものです。


鈴木夫人はこの時既に65歳で、夫より7つ年上の姉さん女房。彼女は作家の林房雄氏のお嬢さんで、鈴木紀夫氏がヨットマンの堀江謙一氏と対談したのをきっかけに、冒険家繋がりで国重光煕氏とも知己となり、そこで林房雄氏を紹介されたのがご縁だったそう。


( ̄ー ̄)v- 林房雄氏と言えばプロレタリア文学から始まり、途中から転向して国家主義の作家・評論家になった御方。三島由紀夫とも親交があった方です。


小林誠子氏の『ラストシーン』には新婚当時のスナップ写真も載ってますが、とても綺麗な奥さんで、お年を召されてもきっと綺麗だろうなと思いました。彼女は今でも紀夫氏を「主人」と呼び、彼の遺した写真や遺稿、最後となった《第6次雪男捜索の計画書》を見せてくれました。


角幡氏が見せて欲しいとお願いしたのは、鈴木紀夫氏が撮影した雪男の写真。それはビニールの小さな袋に入っており、「雪男写真25枚」と書いた紙が貼られていました。


( ̄○ ̄;) ……………。


写真を取り出して見つめると、「そこに写っていたのはただの緑の斜面と、剥き出しになった灰色の巨大な岩壁だけだった」………


( ̄□ ̄;) ……………。


それが1~2枚目。本書では4枚の連続写真になっていますが、よく目を凝らすと緑の草地の中に白い小さな点がある。これは1975年7月29日に、グルジャヒマール南東稜の標高3750m地点から撮影された写真でした。


これが鈴木紀夫氏の見た雪男。角幡氏は思わず「虫眼鏡はないですか?」と聞いてしまいそうになりますが、写真を1枚1枚見比べると、小さな白い点は確かに移動していました。


( ̄○ ̄;) これは……


角幡氏はこの時はあまりいい意味でなく愕然としますが、しばらく後に《イエティ・プロジェクト・ジャパン》捜索隊の八木原副隊長が同じグルジャヒマール南東稜で「縦長の黒い影」を目撃し、ベースキャンプからは南東稜を登る子熊が目撃される。それもきっとこんなふうに見えていたんじゃないだろうか。


( ̄ー ̄;) ……何かの動物には間違いないだろうが、ヤギだと言われれば納得するだろう。鹿と言われても「ああ、そうですか」と言うだろう。


( ̄○ ̄;) しかし、雪男ですと言われても、とても納得できるような代物ではなかった。


鈴木紀夫氏はいったいどんな状況で、1975年の最初の雪男捜索でこれを撮ったのか? それは夫人が持って来てくれた遺稿に詳しく書かれていました。


実は6回に及ぶ鈴木氏のコーナボン谷行脚は、最初だけ、初めはコーナボン谷でなくエヴェレストのあるクンブ地方でした。そこは1954年の英国のデイリーメール捜索隊や、1971年に谷口正彦氏(もと日本テレビ局員)が雪男捜索隊を率いた場所で、いわば定番の場所でした。


そこでは鈴木氏は1週間ほどで捜索を諦め、捜索日誌には「ここには雪男はいない、俺がこんなに苦労して見つからないんだから、誰が来ても無理だ。雪男 俺は負けたよ」と書かれていた。どうやらあまり本気ではなかったように見え、角幡氏は不思議に感じます。


( ̄○ ̄;) ……さっさと白旗を上げたのに、どうしてその後、死ぬまで雪男を探し続けたんだ?


その答えはクンブ谷から引き揚げて、その足で向かったコーナボン谷にありました。同行していたガイドは1973年の英国のダウラギリⅣ峰遠征隊に雇われており、その時に雪男を目撃したそうでした。


ヾ( ̄○ ̄;) 先頭のシェルパが突然「イエティだ!」と叫んで逃げ出したんだ。見上げると、三角形の大きな岩の横に雪男が立っていた。


ヾ( ̄∀ ̄;) ロジャーという英国隊員が持ってた16mmフィルムで撮影したが、カトマンズに戻って現像したら、真っ白で何も写ってなかったらしい。


遺稿によると、このガイドの助言を聞き入れた鈴木氏は、いったんカトマンズに戻ってからコーナボン谷に向かう。彼は後に《イエティ・プロジェクト・ジャパン》捜索隊が設けたベースキャンプよりも300mほど登った場所にキャンプを設置し、そこを出身地にちなんで「千葉ポイント」と名づけます。


それから1週間ほど経った7月29日、鈴木氏は草地の間に岩肌が覗く稜線上に黄色い点を見る。


( ̄○ ̄;) あんな場所に、岩なんかあったかな?………


2008年の八木原副隊長も最初はそう思った。そして岩(?)が動き出した時、鈴木氏は頭に血が上り、体が震え始めます。


(; ̄□ ̄) カルマ!何か動いてるぞ!!


呼ばれたガイドも双眼鏡で確認し、「本当だ」と驚く。鈴木氏は急いでカメラに200mmレンズを取り付け、続けざまにシャッターを切りました。(小野田少尉を撮影したのと同じカメラだった)


その動物は全部で5頭いた。いちばん大きな個体が群れから離れ、ゆっくり斜面を下ってくる。それはソ連の学術探検隊が目撃し、後に画家に描かせた有名な雪男のスケッチに似ていたと鈴木氏は書いています。


1頭だけが斜面を下り、他の4頭は一緒にいた。そのうちの比較的大きな2頭は薄茶色で、残りの2頭はとても小さかったが、白いことだけは分かりました。


(; ̄□ ̄) カルマ、雪男の子供は白いのか?


( ̄○ ̄;) 僕は15年以上ガイドをやってますが、あんなに白い動物は見た事がありません。


その生き物は見た目も歩き方もゴリラそっくりだったそう。胸が厚く肩が盛り上がり、腕は太くて長く、尻尾はなかった。
尻尾がないという事は、既知の分類では猿でなく類人猿かヒトということになる。いちばん大きな個体の体毛は赤褐色で、立ち上がると170cmはありそうだった。多分こいつが父親で、次に大きな薄茶色の個体が雌。3番目に大きな個体も雌。残りの白い2頭は子供で、きっとこの5頭は家族なんだろう……


歩き方は最初は二足歩行に見えたが、よく見ると四足歩行のように見えた。鈴木氏は三脚を取りに行く間に逃げられるのが怖くて、カメラのレンズを膝の間に挟んで必死に撮影を続け、同時に8mmフィルムでも撮影していました。



やがて父親らしき個体が岩の陰に隠れ、他の4頭も稜線の向こうに姿を消す。鈴木氏が我に返って時計を見ると、最初に「雪男」を発見してから1時間半も経っていました。