山門の下の手水場には、薬壺を持ってるから薬師如来かと思うんですが、脇に控えてるのが1人しかいなくてよく分からない仏様。


( ̄ー ̄)v- 薬師如来は両サイドに日光・月光菩薩を従えてるらしいです。


まあいい加減汚れてるんで念入りに手と口をすすぎ、仁王門をくぐって三重塔に息を飲んだ後、まっすぐ前方には寛文11年(1671年)に完成した本堂が。


離れた所から見ると、少しだけ開いた木戸の向こうの闇が濃い。深い穴のようだと少しばかり怖くもありますが、近づいて中を覗くとなかなか厳かな光景です。


御嵩町の願興寺、犬山市の大本山成田山名古屋別院大聖寺(ながっ!)にもありますが、ここにも祈願の護摩木があり、願いごとを書いて納めてきました。
(成田山は真言宗:かつて元旦におみくじ大凶を引かせて下さったのは良い思い出)


( ̄ー ̄)v- 盛大に焚き上げてやってください。


昔、禅寺の修行僧の日常を描いた『ファンシィダンス』という漫画がありまして、お山(修行寺)を抜け出して居酒屋で密教系のグループと鉢合わせした時の応酬がきめ細やかでございました。


( ̄□ ̄;) 線香くせぇんだよお前ら!

(; ̄Д ̄) そっちこそ護摩くせーんだよ!


普段はお線香の方が嗅ぎ慣れてますが、高野山に行った時はあちこちでスパイス的な香りに触れて、いいものだなぁと思いました。スパイシーですよね。


今さら知った豆知識。ここではこちらが本堂ですが、大本山にあたる比叡山延暦寺には延暦寺というお寺は存在せず、あそこにある寺院建築物を総称して延暦寺と呼ぶのだそう。
だから本堂というものはなく、それにあたる中心的なお寺は根本中堂と呼ばれるそう。


( ̄ー ̄)v- 織田信長は政治的・軍事的勢力をつけすぎた比叡山に「それを放棄して政争に加担しなければ信仰の自由は認めるが、拒むならば全山の草木一本に至るまで、根本中堂もすべて焼き払う」と警告し、従わなかった為に焼き討ちしました。


次は高野山だったそうで、本能寺の変が起こった時には三男の信孝を総大将にして高野山を包囲させていたそう。
「もはや降りる事も登る事もできない」と絶対絶命だった高野山は、本能寺の変で助かったのだそうです。


( ̄ー ̄)v- その頃の仏教勢力はそれだけ世俗的な力を持っていた。信長は宗教じたいは認めていたが、それが政治力や武力を持つ事を激しく嫌ったんですね。


今あるのは戦国時代が終わった後、穏やかに佇むお寺です。本堂の隣に池があり、弁天さまが祀られていました。



お寺の周りに人工の小川がきれいに設えられていて、小さな滝や、あと無数の水車がありました。
夏は涼しげでしょうなぁ。