(⁠*^⁠▽⁠^⁠)⁠v- お久しぶりです。なかなか更新できませんが、桜も咲き始めたしここは一発。

 毎日忙しい事に変わりはないですが、勤務を軽めにして頂いたので心身ともに少し楽になりました。そのぶん稼ぎは減るけどそこは仕方なし。時間を作って少しずつプチ流れ旅も再開できました。

 WBCが始まった時はB'zの稲葉さんがタッチの主題歌を歌ってて「ファッ!?」となりましたが、いまテンションが上がるのはアサヒスーパードラァアイ。ワンオクだったのか雷電(笑) 森進一の息子恐るべし↓



 春の訪れは濃いピンクの河津桜。可児市の鳩吹山ふもとの「湯の華アイランド」の周りにたくさん植えられていて、プチ湯治の際に気持ちが華やぎました。


 その河津桜が終わる頃にはカタクリの花が咲く。鳩吹山には登山道がいくつもありますが、多分いちばんメジャーな「カタクリコース」の入り口にたくさん咲きます。今はまだヤブツバキもよく咲いていて、落ちた花を誰かがきれいに並べてました。


╮⁠(⁠^⁠▽⁠^⁠)⁠╭ 咲いた咲いた!! ここは年々カタクリの株が増えていて、大切に保護されてます。つぼみのうちから偵察してましたが、先日きれいに咲き揃ってました。


 冬の間は葉も見えず茶色の斜面ですが、河津桜が咲く頃に斑入りの葉が出て花茎が伸び、細長いさやのようなつぼみが垂れます。それが開いて花びらが反り返るさまがとても可憐。


 花びらが反り返り始めた時はこう。カタクリは発芽から花を咲かせるまでに7~8年もかかる繊細な植物で、山の自生地でも採取は厳禁です。ここも柵から中には入れず、立派なカメラを持った写真愛好家さんこそが最強(笑) これからは桜もたくさん撮るんだろうなぁ。


 完全に花びらが反り返った花とヤブツバキ。咲ききったカタクリの花はぼんぼりみたいすね。


 花びらが午後遅めの日射しを抱くよう。自生地は関市の高賀山しか知りませんが、中腹から頂上にかけてよく咲きます。多くはないけど春はいろんな花が咲くので行きたいですが、ちと無理かな。


 見上げれば爽やかな青葉の間にヤブツバキ。サザンカのようにみっしり花が咲かないのがよい風情。山歩きでこそ見たい花です。そろそろ花期は終わり、ツツジにバトンを渡しますね。


 花でひとすじの道ができてました。何かイイ。


 ここ(可児川下流域自然公園)では今月の28~29日にカタクリ祭りがあります。湯の華市場には水まんじゅうのようなかたくり餅がもう出てました。これは美味しいです。

 これはブルーベリータルト。最近はタルト台をホットケーキミックスでなく、薄力粉とマーガリンと卵で作れるようになりました。


 あと絶対に外せないホタルイカとワケギの酢味噌和え。うちの方では「ぬた」と呼び、春先には欠かせません。少しずつ余裕が出てきたのが嬉しいです。



⁠(⁠*^⁠▽⁠^⁠)⁠v- ここからは名古屋大学の考古学研究室も未踏のゾーン。右端の立ち入り禁止区域の小さな穴をくぐり抜けた先には部屋のような空間がありました。



 この区域は田中隊長は潜入不可能で、吉田勝次氏と氏の率いるケイバーさん達が進みました。「穴があったら入りたい」を超えて「とにかく入る」のがこの方々の通常運転。相変わらずよくこんな狭いところに入るなぁ(涙)


 照明のせいでもあるかな? 人が入っていない鍾乳洞の鍾乳石は純白だそうですが、ああ白く滑らかだ。下は土のようですね。不思議なことに瀬戸物の茶碗のかけらが落ちていて、「水に流されてきたと思う」と吉田氏が語られてました。郡上市の鍾乳洞は内部に水が豊富で川や滝があるけれど、山県市のは地底湖にどこから水が流れ込んでるんだろう? 岩山にしみ込んだ雨水だと思うけど、その「水の道」が見当たらない感じでした。


 無線で「行けるところまで行く」と聞いてこの表情の田中隊長。そら吉田氏のチームはクレイジージャーニーでも常連だもん。行きますわ。


 右端の未踏ゾーンは行き止まりで、名古屋大学の調査記録に記載のない3ヶ所の支洞も同様でした。この支洞の手前の広場が六畳洞、左隣のやや広い空間を八畳洞と呼ぶようです。そして縄文~弥生時代の遺物がそこから出土したんですって。洞窟の開口部に近いところが住居とか狩猟のキャンプ場に使われてたんですね。


 先は狭すぎて行けなかったけど、不思議なことにけっこう大きな玉石がひとつありました。吉田氏いわく「川で採れる石で、よそから持ち込まれたと思う」。庭石に使われるような丸い石で、一体いつからあるんだろう? 古代の人が持ち込んだなら何の為に?


 入り口は岩壁の基部の狭い隙間ですが、あの洞窟中央の先はこんなふうになってたのか。白く滑らかな岩が綺麗だなぁと見惚れました。普段は暗闇に閉ざされてる場所で、それが勿体ないともそれが良いとも感じますね。もっと奥にはもっと美しい鍾乳石があるんだろうなぁ。


 支洞の入り口は壁面にも複数あり、吉田氏がそこからも潜入。ここまで見せ場が無かった田中隊長もようやく後に続きます。


 この穴は見覚えがあるけど入ろうとは思わなかった(涙) 初めて訪れた時のブログに「子供の頃にここの穴に潜って遊んでた」という方からコメントを頂きましたが、いいところで子供時代を過ごされてて羨ましかったすね。私も子供の頃なら恐れより好奇心が勝ったろうなぁ。


 驚いたことにその先にも立って進める空間がありました。鍾乳洞ってすごい。岐阜県の鍾乳洞は地下深くに何層も分かれた立体迷路で、大規模観光洞にも未開洞が多いです。郡上市には5つの観光洞がありますが、地元の方は「地中深くでみんな繋がってると思う」と言われます。ひとつだけ開口部しか見られない和良町の「蛇穴」は暗い洞窟の奥からこんこんと水が流れてきてて、近くの「郡上鍾乳洞」でお椀を流したら流れ着いたそう。奥に地底湖があると言われてて、そちらもロマンすね。潜入してくれないかなぁ。


 胎内巡りのようですね。進んで行くと登りになり、頭上に光が見えました。


 おお外に繋がってる。これは洞窟の上に出るのかな?


 あ、やっぱり洞窟の上だ。道路を挟んだ向かいにはグリーンテクノ美山という木材工場があり、その建物が見えました。車で九合洞窟に行く時はよい目印です。


 図で見るとこうなってたんだ、蟻の巣穴のようですね。今回潜入した支洞はまだほんの一部のようで、まだまだ複雑に枝分かれして広範囲に広がってるように感じました。


 吉田氏らが今回通ったルートはまだ発掘調査が行われていない区域のようで、ちゃんと調査すればまだまだ新発見があるかもとの事でした。これはたぎりますねぇ。


 吉田氏も「また潜りたい」と語られていて、探索が進むと嬉しいすね。これまでほんの入り口しか見た事がなかった九合洞窟の内部を見られてとても嬉しかったです、押忍!!




⁠(⁠*^⁠▽⁠^⁠)⁠v- しばしのお休み明け。いろいろといっぱいいっぱいでへこたれていましたが、また少しずつ更新していけたらと思います。


 少し遅くなってしまったけど、今週の水曜日は「世界の何だコレミステリー」の2時間スペシャルでうおお!!となりました。朝刊で岐阜県の謎の縄文遺跡と見て、これは飛騨金山の金山巨石群かとワクワクしていたら嬉しい誤算。縄文遺跡でも山県市の九合洞窟が取り上げられました!!



 九合洞窟とは山県市美山町の谷合という地区にある鍾乳洞(の開口部)で、さらに奥の神崎川に行く途中に立ち寄れます。岐阜県で鍾乳洞が多いのは郡上市ですが、山県市も石灰岩が多いので複数の鍾乳洞があるんすね。ただ郡上市と違って観光洞は皆無に近く、かろうじて九合洞窟だけが自己責任で開口部に入れます。何度か行っていて、その探訪記はこちら↓。外気にさらされる開口部なので鍾乳石はあまりツヤツヤしてませんが、雰囲気は抜群です。


https://ameblo.jp/otoko-bana/entry-12804700473.html





 ↑これが開口部。入り口は幅15m、高さ5mで素人が入れる奥行は30m。ちょっとした岩山の基部がスパッと切れ落ちたような外観で、石仏や小祠が祀られてます。ちょうど中央の岩壁には「南無阿弥陀佛」と刻まれていて、近代の修験者が刻んだのかと思ってましたが槍ヶ岳開山者の播隆上人が刻んだと紹介されてびっくりしました。これは南無阿弥陀佛なのか、読めなかった(涙)





↓少し踏み込んだ眺めはこう。鍾乳洞っぽいでしょう。地面は湿って固まった土で、内部がけっこう広いのが分かると思います。すぐに行き止まりですが暗闇の圧が強いすね。



 貴重な資料写真も紹介されました。県下の洞窟遺跡や鍾乳洞は昭和40年代から岐阜大学や名古屋大学が調査しており、九合洞窟は名古屋大学と岐阜県教育委員会が昭和25年と37年に調査したんですって。いま調べたら県下には20ヶ所の洞窟・岩蔭遺跡があり、まだ見つかってない場所もあり得るとか。たぎりますねぇ。



 ふと疑問に思って「洞窟遺跡と岩蔭遺跡の違い」を調べてみると、洞窟遺跡は文字通り洞窟を古代の人が住居にしたもので、岩蔭遺跡は洞窟より浅い岩屋を住居にしたものだそう。なるほど、だから飛騨金山の金山巨石群は「岩屋岩蔭遺跡」なのか。そして思いっきり鍾乳洞の九合洞窟や郡上市の縄文洞は洞窟遺跡なのね。勉強になりました。


 九合洞窟では石鏃や石斧、土器や獣骨が出土しており大半は県博物館にあるそうですが、この近くの文化財指定を受けたお宅にもいくつかあり、見せて頂いた事があります。山県市には美しい地底湖があり、どの辺りなのか分からなかったけど、そこで円原地区だとお聞きしました。「円原の伏流水」という美観スポットがありますが、そこから山に分け入ったところみたいすね。素人には行けないところです。


 穴と言えばやはり派遣されるのは田中隊長ですが、依頼主も田中さんでした。思わず画面を二度見したのはこの田中さん、九合洞窟のロマンに魅せられすぎてそれを抱く山ごと購入されたそう(驚愕) このご時世に偉大っすね、真似できませんキリッ!!


 地権者の田中さんは九合洞窟の未調査のエリアを番組に調べてほしいとの事で、名古屋大学の考古学研究室が発行した昔の調査記録を見せてくれました。あらやだ古書サイトで売ってるわ? 悩むわー!! 何度も行ったから開口部の地図はだいたい分かる。向かって右側が横幅の広い穴の入り口で、赤い丸で囲まれてるところは立ち入り禁止なんですよね。アルファベットで区分けされてるところは広い空間になっていて、遺物の発掘箇所だと思います。内部はやや右手に天井と繋がってる鍾乳石があり、その向こう側を通れます。広い空間の右端と左端に支洞の広めの入り口があり、中央には岩壁の下に狭い隙間があります。


↓ここが開口部からまっすぐ進んだ中央かな。奥の岩壁の下に隙間があり立ち入り禁止のコーンがあります。やはり来たわね洞窟王こと吉田勝次氏。山県市ではケイビングツアーをやってたり、地底湖の調査もされてます。この方が来たという事は私には到底見られない九合洞窟の未踏部が拝めるということで、疲れも忘れてガン見してました。


 中央の3ヶ所の未踏ゾーンは後回しで、まずは右端の支洞にGO。素人にはとても行けるとは思えませんが、プロの吉田勝次氏はそこから始めました。


 こちらの支洞は行く手がすぐに狭くなっていて、名古屋大学も進んでない様子。狭い隙間を匍匐前進ですり抜けると立って歩ける広い空間になり、私のボルテージも急上昇しました(笑)


 ああ鍾乳洞だ。周りの岩の形もそうだし、岩なのにヌラヌラした感じがはっきりしてきた。外気に触れる開口部だと風化するのかヌラヌラしないんですね。この「溶けた岩」感がたまりません。


 一応上がれる雰囲気の先に更に奥に続く穴発見。そこまでは名古屋大学の考古学研究室が調べたとの事でした。
 

 おおう、人骨が見つかってたのか。古書販売サイトで4500円の調査記録にダイソンの掃除機並みの吸引力。こういうの集めて理解を深めたいわぁ。


 ここでは縄文時代の草創期から近世までとすごく幅広い時代の遺物が見つかっており、縄文時代では竪穴住居を造るようになるまでは洞窟や岩屋を住居にしたり、狩猟のキャンプ地に使っていたよう。洞窟は夏は涼しく冬は暖かいものだけど、奥のほうは埋葬や儀式の場にしていたとか。郡上市の縄文洞でも人骨が見つかっており、古代の葬送儀礼とはそういうものだったんだなぁと。


 副葬品も出土していたそう。県博物館で見られるかな? 奥に行くにつれて岩肌が白く鍾乳石らしくなってきて、神秘的になってきました。