年末にいろいろ思うこと… | otokiのブログ

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2PMうよんペン、日々2PMの曲しか聴かないのに、宗教曲(ポリフォニー)中心の合唱もやるという欲張りなアジュンマのつぶやきです。

年末になると思うこと…

今になってみれば
2年前あたりから
もしかしたら
義母の認知症は少しずつ
始まっていたのかな…と。

当時はたんなる
いわゆる歳をとったから
年相応のボケか
ちょっといろいろ面倒になったのかなと
思ったりしていたけど。

免許証を返納してから
坂が多いところに住む義母は
歩く…もしくは
コミュニティバスを使う
タクシーを使う
…という
車以外の移動をしたことがない

しかも
車以外の移動手段は
したくないと拒否。
当然外に出る機会が必然的に減り

当時は息子たち2人とも家にいたので
車に乗れない私に代わり
時々義母をスーパーへ 
連れて行ってくれたり
病院へ連れて行ってくれたり。

お正月のおせち料理も
そこそこ作っていたのに
2年前の年末は全く作らず
買い物もしたくないということで
私がかわりに
もろもろ食材を購入。
でも
何かしら作ったりはしていたけど…。

昨年末はもうほんとに何もしなくて
食材を頼まれたものの
「私はお金がないから払わないから」
…えぇ???と思いつつ
1万円札何枚も
義母のために使った…な…そういえば。


年が明けたら
今度はほんとに引きこもるように
なってしまい

連日近所の方や
民生委員から
私の家や携帯電話
そして
あげくのはてには
勤務先まで
勤務先は基本プライベートな電話は
禁止なのです。
もちろん
緊急性のある電話はOKだけど
私の場合は
緊急性のない話ばかりだったので
当時の上司に
事情を説明して
理解は得られてはいたけど
やっぱり迷惑はかけていたので
ほんとに辛かった…


頻繁に電話が入る様になり
一時期は
電話がなるたびに
身体が硬直してしまうというか
拒否反応が出てしまうくらいに。




2月の入院をきっかけに
電動自転車を購入して
毎日義母宅に通う日々になって

そして
今の病院へ

…と今年はほんとに
いろいろ
いろいろ
義母のことであった…な。


たまたま
先日久しぶりに会った人に
「どうして同居しないの」
「同居って選択を最初にしなかったの」

…と。
そうですよね…。
近くに住んでいるなら
同居するべきだったかもしれない。

でも
だんなさんが一人息子。
毎日夕方に帰ってきて
土日休みなら
同居という選択もあったかもしれない。

でも
だんなさんは超不規則な仕事。
帰ってくるとしたら
21時すぎか終電。
休みも不規則。

息子たち2人とも
家を出ている…。

私1人が背負うには
あまりにも無理でした。
仕事を辞めて
義母宅から自転車で通うのは
かなり厳しい環境

同居して
自分が壊れるのが
目に見えていた…。
だから同居という選択は
できなかった。

傍から見れば
冷たい嫁に思われているんだろうけど

…うん
見られても致し方ない。

そう自分に言い聞かせる
ある年末の1日でした。