「死後の世界が恐ろしくて死ぬのが恐い」


表向きは「死ねば無になる」と言い張って自分を守っているが
正直のところ死後の世界を想像すると恐くなる。
もしかしたら地獄の業火に永遠に焼かれ続けるのでは。
永遠に足の裏をこしょばされたりするのでは。
簡単に言えば「死後も生きる」のではないか。
そう思うと死をためらってしまう心がじわじわ湧いてくる。
不思議ですよね。信仰をもたない私が信仰じみたものを持っている。


そして一番よく思うのが
死後も、魂はこの地に留まりさ迷い続けるのではないか
今、私はこの部屋に一人でいるが
もしや数十人の死者たちも私の傍に居座り
私の生活のひとつひとつを見ているのではないか
「私の生活」という賃貸が死後の商売になっているのではないか
“滑稽な住人”というキャッチフレーズで売りに出され
もしかしたら死後の不動産業のモデルルームとして扱われているかも。
ああそう思ってしまうと、途端にいろいろなことが恥ずかしくなる。
独り言を言っている姿や、音痴な歌声を聞かれている
オルガズムに達する姿や、何かしらのプライベートを
すべて見られているとなるとすべてを自粛したくなる。
だから一人でその「見えない者たち」に向かってよく話しかける。


「おい、そこにいるのは知っているぞ」
「滑稽か?おれの生き様はそんなに」


など、恐ろしいことにたまにではなくて、よく話しかけている。
そんなあんたが一番恐いって?いやいや大真面目です。
死後の世界を語ることは無限であり、真理などない。
とは言いつつも、いざその「見えない者たち」が
私の前に姿を現し、返事をしてきたときには
私は気絶してしまうでしょうが。
覚悟はしていても、そういうものが私は大嫌いですから。
本当に何十人も私の部屋に住み着いているとすれば
とりあえず、今月の家賃を分割でお願いしたいところ。


またシェイクスピアも劇中に死後を恐れるセリフを何度も書いている。
彼もまた死後の世界を恐れていたのだろうか。
そう思うとたまらなく嬉しくなった。
私もシェイクスピアも、同じ人間であったのだと。


見えないものに崇拝し、見えないものに命乞いをし
見えないものを愛し、見えないものを憎み
見えないものを憧れ、見えないものを恐れ
見えないもののために生き、見えないもののために死ぬ
人間をつき動かすもの、それは「肉体」ではない。
木々にすがりつくナマケモノ同然、私たちなど。
たえず何かに寄りかかって生きている。


私は恐怖によって。