イランは70年前までは民主主義だった。
当時のイラン政権が不都合だったアメリカCIAとイギリスMI6が
デモの扇動や政治工作を行い、政権は崩壊。
それに伴い、民主主義も崩壊、イスラムに改宗。
目的は石油利権。
革命や戦争の裏には、いつでも資源の奪略がある。
今回の革命もアメリカが関与していてたとしてもおかしくないよなぁ。
まだ情報収集中なので、記事を更新するかも。
VIDEO
🇮🇷 イランで革命が始まった|9000万人がネット遮断、46年ぶりの叫び
今この瞬間、9000万人がインターネットから切り離されています。
理由は一つ。
政府が国民を恐れているからです。
2週間で45人以上が死亡。2000人以上が拘束。
街には46年前に追放された王家の名が響いています。
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🇮🇷 イランは世界第3位の石油埋蔵量を持つ資源大国でした。
しかし制裁、戦争、国際的孤立の三重苦が国を追い詰めました。
1年で通貨の価値はほぼ半分に。
朝仕入れた商品が、夕方には赤字になる。
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✊ 1979年、シャーを倒したのはバザールの商人たちでした。
今、同じ場所で同じ人々が声を上げています。
女性たちは命がけでヒジャブを脱いでいる。
「もう後戻りはできない」
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📌 本動画では
・なぜイラン経済は崩壊したのか
・バザールの蜂起が持つ歴史的意味
・トランプ大統領の警告と米国の狙い
・体制は持ちこたえるのかを解説します。
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イランは乗っ取られた。
イラン革命 が起きた1979年
それまでの皇室パフラヴィー家が追い出され 、
それまで信仰されていたゾロアスター教 (神に管理されない自由信仰)を
国家が解釈を捻じ曲げたイスラム教 (神と指導者ハメネイに服従)へと改悪
当時、10000人もの人々を処刑
約40年もの独裁政権に終止符を
いろんなイラン関係を語ってるアカウントを見ろ
絶対1970年代よりも前の1950年代の事を書くアカウントがないんだよ、
何故かって都合が悪いからさ、
そもそも イランの民主主義選挙の結果を覆した のは
アメリカCIA とイギリスMI6 。
アメリカ政府の公式文書も出てるのに
あえてこの件について触れないのはワザとだろうね。
CIAとMI6がイランの大統領を蹴落とした事実を出せよ。
「 常に石油が目的 」:
CIAとMI6が70年前にイランでクーデターを起こし、
イランの民主主義を破壊した
VIDEO
“It’s Always About Oil”: CIA & MI6 Staged Coup in Iran 70 Years Ago, Destroying Democracy in Iran
https://www.youtube.com/watch?v=7coh9-MpFJo&t=6s
「いつだって、石油のためさ」
CIAとMI6が70年前に仕掛けたクーデターがイランの民主政治を破壊した
8月19日は、イランで1953年に民主選挙で選ばれたモハンマド・モサデグ首相がクーデターで失脚してから70年目にあたります。
クーデターの背後にいたのは米国と英国です。
モサデグ首相はその2年前に、アングロ・イラニアン石油(現在のブリティッシュ・ペトロリアム)に支配されていたイランの石油産業を国有化していました。
「もしイランで石油国有化が成功していれば、米国が石油利権をもつ他の国々に対して恐るべき手本を示すことになったでしょう」と、イランの歴史家エルバンド・アブラハミアンは説明します。
アブラハミアンの著作には、Oil Crisis in Iran: From Nationalism to Coup d’Etat (『イランの石油危機 ~ナショナリズムからクーデターまで』)、 The Coup: 1953, the CIA, Roots of Modern U.S.-Iranian (『クーデター 1953年、CIA、現代の米国・イラン関係のルーツ』)があります。
CIAは、モサデグ政権を転覆させたことを昔から認めていますが、「英国は自分たちが主導的な役割を果たしたことを認めていません」と、映画作家のタギ・アムラニ(Taghi Amirani)は指摘します。
アムラニが監督したドキュメンタリー映画 Coup 53 (『クーデター53』)は、英国の諜報機関MI6の諜報員が果たした役割を暴いています。
「大英帝国が持っていたイランの石油への利権を手放すまいとして、米国にも分け前をやるからと約束して仲間に引き込んだのです」とアミラニは言います。
70年経った今も、「私たちはこの悲惨な出来事の影響を引きずっているのです」
CIA
レジームチェンジによる植民地支配の継続
1953年のイラン政変の意味
最近のニュースで興味深いものを選んで紹介しています。
「いつだって、石油のためさ」CIAとMI6が70年前に仕掛けたクーデターがイランの民主政治を破壊した
1953年に起きたイランのクーデターは英国(MI6)と米国(CIA)の画策によるものでした。
イランに初めて誕生した民主政権を、大英帝国時代の石油利権を守るために潰したのです。
それを証拠づける公文書や関係者の証言などをもとに、
イラン人の監督が長年にわたる取材の成果として2019年に世に出した決定的なドキュメンタリー映画が「Coup 53」です。
イラン(ペルシアの末裔)の近代史
1953年8月19日、イランの首都テヘランで、後に「8月クーデター」と呼ばれる政変が発生しました。
これは当時の首相モハンマド・モサッデクを追放し、
国王モハンマド・レザー・パフラヴィーの権威を回復させた事件であり、
イランの近代史に深い影を落とす出来事です。
このクーデターにはイラン国内の保守勢力に加え、
アメリカCIAとイギリス秘密情報部(MI6)が関与していたことが後に明らかになり、
冷戦期の中東情勢に大きな影響を与えました。
モサッデク首相は、国民主権を掲げた改革派の政治家でした。
彼の最大の功績は、イランの石油産業の国有化でした。
当時、イランの石油はイギリス資本のアングロ・イラニアン石油会社(現BP)に独占されており、
利益の大半は国外に流出していました。
モサッデクはこれを「民族の財産の収奪」と批判し、1951年に国有化を断行しました。
この決断は多くの国民に支持され、彼は「民族の英雄」と称えられるようになりました。
しかし、石油国有化は国際的な摩擦を招きました。
イギリスは経済制裁を加え、イランの石油輸出は事実上不可能になりました。
経済は停滞し、国内には不満が高まります。
一方で、アメリカは当初モサッデクを中立的に見ていましたが、
冷戦構造が強まる中で、共産党勢力(トゥーデ党)の台頭を恐れるようになりました。
もしイランが共産主義に傾けば、豊富な石油資源がソ連の影響下に入る危険があったのです。
こうしてアメリカとイギリスは、イランでの政変を支援する密約に至ります。
1953年8月、CIAが実行した「アジャックス作戦」によって、デモの扇動や政治工作が行われ、
ついにモサッデク政権は崩壊しました。
モサッデクは逮捕され、後に自宅軟禁に置かれ、国王パフラヴィーは再び強い権力を握ることとなりました。
こうしてイランは「王政下の安定」を表向き取り戻しましたが、
その背後には外国の介入があったことが国民の記憶に深く刻まれました。
その後のイランは、パフラヴィー国王のもとで「白色革命」と呼ばれる近代化政策が進められました。
土地改革や教育拡充、女性参政権の導入など、一見すると近代的な改革が推進されました。
しかし同時に、秘密警察サヴァクによる反体制派の弾圧や、欧米依存の経済構造が国民の不満を募らせていきます。
やがて1979年、国王の専制と欧米依存に反発する形で「イラン革命」が起こり、
ホメイニ師の指導の下でイスラム共和国が成立しました。
この革命は、1953年のクーデターによって失われた「民族の自主独立」を取り戻す運動としても理解されています。
モサッデクの石油国有化は一時的には挫折しましたが、
その精神は革命後のイランに引き継がれたのです。
1953年のクーデターは、イランにとって単なる政変ではありませんでした。
そこには「資源を自らの手で守ろうとする民族の意思」と「冷戦下の大国の思惑」とが交錯し、
近代中東史の縮図のような性格を帯びていました。
この事件以降、イラン人の間には「欧米は常に自国の利益のために介入する」という根強い不信感が広がり、
それが現在に至るまでアメリカやイギリスとの関係に影響を及ぼし続けています。