今年は元旦から

能登半島大地震が起こり、

そして今日は

阪神淡路大震災から丸29年を迎える日。


本当にね、あれから29年か…


今この瞬間も

能登半島に暮らしておられる方々は、

ともかく生活の再建に向けて

半ば心が折れそうになりながらも

必死に歯を食いしばって、

どうにかこうにか

耐えていらっしゃるのだろう。


被災地から遠く離れて

あれこれ思い巡らすことは

簡単なことだとはいえ

それをなんと表現すれば良いのか、

未だに言葉は見つからない。


29年前というと

俺は裏方に回ってから2〜3年が経った頃で、

ともかくやたらと忙しく

ヒリヒリと緊張感溢れる毎日を

ひたすら走り抜けているような感じで

過ごしていたなぁ。


その年は珍しく

仕事のスタートがゆっくりで

正に1/17 が仕事初めの日だった。


朝からテレビをつけるという

習慣がなかったこともあって、

その日は

スタジオに向かう途中でタクシーに乗った時、

運転手さんから話しを聞き

またラジオから流れる音声を聞き、

初めて関西地方が大地震で

大変なことになっている、と

知ったのだ。


スタジオに到着して

すぐにロビーのテレビで

あの高速道路が横倒しになっている景色を

見て、愕然としたものだった。


映画か何かのワンシーンを

見ているかのような、

にわかには信じられない光景。


故・大村憲司さんの故郷が

神戸ということもあり、

その年は憲司さんと柳ジョージバンドが合流して

急遽チャリティーコンサートを催すために

神戸に入ることになった。


神戸チキンジョージというライブハウスにて。


リハーサルが終わり、

本番までの空き時間を利用して

三ノ宮まで出向いて行って、

45度以上に傾いたビルやら

崩れかけた建物の間を

少しの間歩いて回ったものだ。


なんというか、

この時に感じたことが確かにあったのだけど

それをなんと表現すれば良いのか、は

29年を経た今でも

やっぱりよく分からないままだ。


確かなことは

生命という奇跡のような存在で

今が成り立っている、ということ。


その神秘さや奥深さ。


そして

日常の当たり前な瞬間の有難さを

しっかりと噛み締めながら、

深い感謝の念と共に

しみじみと今日を生きる。


こうした尊い物事を

再認識するための時間をしばし取ることも

とても大切なことだよね。


そしてまた、

全ての皆さんの平穏無事な日々が

ずっと続きますように。


心よりお祈りいたします。