てなわけで、2025年が明けました〜🎍
皆さま、
新年明けましておめでとうございます!
今年も宜しくお願いいたしまする〜
とはいえ、
全く正月気分も盛り上がらないまま
ダラダラと過ごしております😅
去年の元旦に起きた
能登半島の大地震から一年が過ぎたけど…
何も変わってない姿は
やっぱり見ていて堪えるし、
虚しさや怒りみたいな気持ちもあって
そこもまた複雑な心境だなぁ…
さて。
久しぶりに国内、海外の音楽
ベスト50を聴いたりして、
なんとなく今の時世というものを
観察しておりました。
今年は何といっても
アメリカ大統領にトランプ氏が返り咲き、
あのイーロンマスク氏も
際側近として既に辣腕を奮っているそうで、
ウクライナとロシアの行方や
イスラエルとパレスチナはもとより
シリアやイランなど
複雑な中東の国々の状況も含め、
国際情勢としては
刻一刻と目まぐるしく変わりながら
更なる格差拡大、異常気象による
災害の多発などなど、
カオス的な要素はまだまだ
留まることなく膨らみ続けていく。
国内に目を向けても
政治がグダグダなのはもう今更言うまでもなく、
既得権益をどうにか手離さないように
必死になっているうちに、
外の景色がガラッと変わっている、
すっかり取り残されている、
なんてことも
既に起きていることなわけで。
もう、民主主義ってのは限界だよね。
その、希望と絶望みたいなものが
入り混じって拮抗している姿が
音楽からも透けて観えるようです。
歳を重ねて来たからこそ観られる景色、
とでも言えば良いのかな。
どちらかというと
日本国内では若い人たちの中にある、
無意識のうちに追い詰められている
切迫感みたいなものが
浮き彫りになってるような気がします。
言葉としては希望を語りつつ
サウンドも明るめのものが多い中、
どこにも間がなく
目まぐるしく展開が変わりながら、
ギチギチに
音を詰め込む手法が好まれているのか、
それとも
間が空くことをとても怖がっているのか。
個人的には、
作り手の中にある
無意識のうちにある切迫感が
そこに顕著に現れているような気がします。
正直、聴いていて辛くなってくる感じは
否めないですねぇ…
海外の音楽で言うと、
どよ〜んとした混沌を表現しているものが
多く見受けられます。
まぁそれは
今に始まったことではないけどね。
それとやっぱり
4小節のリピートだけで押し切る、
みたいな単純明快なものが多いかな。
その一方で
アーパツアパツ、みたいな😅
勢いだけの音楽も。
というか最早、音楽というよりかは
単なるサウンド、音、と
化しているような気もしますねぇ…
まぁ、あくまでも TOP50 の音楽なので
それは全体の中の一部に過ぎませんが。
そう言えば
去年のグラミー賞の時に、
Tracy Chapman の1988年の作品、
「Fast Car 」が
何かの賞を受賞したらしいのですが、
この楽曲が今になって
再評価を受けていることも
アメリカが
どれだけ混迷の度合いを深めているか?
の指標となりそうです。
多様性を広く受け容れ、
アメリカン・ドリームを象徴していたはずの
世界屈指の大国でさえ、
やはりマイノリティにとっては
過酷な環境は全く変わっていないと
言わざるを得ないのでしょう。
俺も当時、深く感銘を受けた
シンガーソングライターの一人ですが、
なんとも
やるせない気持ちにさせられました。
やっぱり、音楽っていうのは
時代を映す鏡みたいなものだからね。
全体的に
あまり良い方向に向かっているとは
言い難い状況のようです。
かと言って、
希望を持てるかのような表現スタイル
というのもどうなのか?
と思える辺りはやっぱり
歳食ったんだなぁ、とね😅
言葉をメロディに乗せて作る、
音楽という表現方法に
時代的な限界を感じる一方で
まだどうにかやれる形があるんじゃないか?
という模索は諦めたくない。
今年はその辺も
まぁある意味ベテランとしては😅
問われることになりそうですな〜
俺もそれなりに色々あって
生きて来たけど、
それでも
結構恵まれている方なんだろうな。
その呑気さが救いかもしれないし、
逆に致命的なのかもしれないけど。
ともかく
自分が一番良いと思える方法で
音楽を発信し続けること、に
尽きますな😊
さて、
今年はどんな一年になるんでしょうか?
皆さまにとっても
素晴らしい一年になりますように!
心より祈っております。
改めて
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。
音彦