本日も働いていた時のエピソードです。

20代女性 大学2年生に抑鬱症となり入院となりました。

両親は教師で本人は厳しく育てられたそうです。

大学卒業後に鬱になり働けなくなってから母親との関係が悪化していたようでした。

教養もあり本人も両親と同じ教師を目指していたようでしたが

両親に対する不満、不信感、恨みを抱えていました。

その女性は落ち着いていたので外出はスタッフ同伴で買い物に行くことを許可されていました。

その女性と病院近くのお店に買い物に行くと

ずっとスタッフに自分の生い立ちや両親は自分をずっと放ったらかしだった事や親の行動や言動について自分が傷ついてきた事を延々と話していました。

入院中に時々両親の面会があっても両親は短時間ですぐに帰っていました。

母親よりも父親の方が話せると本人は頼りにしていましたが

父親に頼っても支えになる事が出来なかったようです。

主治医は本人と話をして

親を棄てなさい

と言われていましたが、本人はこだわり続けていました。

私もこの女性と色々話をしました。

患者さんにはあまり感情移入してはいけないと言われていましたが

この女性と関わったスタッフ全員がとても考えさせられるわと言って彼女の苦悩と苦しみに共感し支えになれるようにサポートを続けました。


両親が教師である事で他の家庭より厳しく育てられた事。
自分の事より生徒の子供の事がいつも優先されていた事。
私を本気で心配した事は一度もない。

きっと彼女の両親は仕事熱心だったのだろうと思います。
当時は教師は自分の子供の運動会には一度も行ったことがないと聞いた事があります。
今もあまり変わりないのかもしれません。

彼女の両親への愛情を切望する姿と両親への葛藤。自立への不安定さがしばらく続いていましたが、数カ月後に退院されていきました。

大学に復学して通院を続けていると聞きましたが

親へのこだわりは続いているようでした。

彼女の両親もいっぱいいっぱいだったのかもしれません。
もしかしたら仕事中毒状態で仕事に逃げていたのかもしれません。

しかし子供はいつも自分に向き合う事を望んでいたのです。

それが叶わない時は親を棄ててもいいから自分を守りながら大事に生きて行かないといけないのだろうな。

でもそれもかなりしんどい事だよね。
彼女の言葉がずっと残り続けています。

子供をまっすぐ愛する大事さと大人になっても影響する親の愛情不足

親子ってなんだろう

親が子供に与えるのはお金でも地位でもない

愛情なんだけど

その愛情をまっすぐ子供に与えるのはとても難しいのかもしれないと

その与えられなかった子供はずっとこの傷を引きずって生きて行かないといけないのかな

そう考えさせられた出会いでした。




こんにちは。

今回も過去に対応した実体験のエピソードです。

私が以前働いていた病棟は精神科のスーパー救急でした。

なので色々な患者さんが入院してきます。

そこに若い20代の綺麗な女性Cさんが入院してきました。

Cさんは大学を卒業後アルバイトをしていましたが、数ヶ月前から神の声が聴こえると言い何日も山の中を歩き回り警察に保護され入院となりました。

診断の結果統合失調症となりましたが

統合失調症でも初期の発症となる為投薬治療で直ぐに症状も回復し幻聴、幻覚が治まりました。


しかし男性患者さんとの距離感が掴めず出会った男性と直ぐに恋愛対象となり異性関係のトラブルが続いていました。

面会に来るのは母親のみで父親が来ても黙って本人とは会話せずに帰っていくパターンが多く見られました。
また彼女は母親には悩みを言えるけど父親にはあまり話が出来ないという心の葛藤を抱えていました。

私はCさんにどうして直ぐに男性と恋愛対象になるのか尋ねると

Cさんは「私の事を好きだと言ってくれたから」
私「好きだと言われたら皆好きになるのかな?Cさんの意志はどうなのかな?」
Cさん「私は好きだと言われたら好きになる」

このやり取りに統合失調症の対人関係の不得意さプラス自己肯定感の低さや承認要求もあり男性との関係が極端過ぎるのではと思い本人を根気強く自分を大切にする必要性と男性との適切な関わりを伝えて行きました。

彼女は少しずつ理解していきました。時々はまた男性とのトラブルがありながらも困った時は私に助けを求める事が出来ました。その都度面会室でゆっくり話を聞き冷静に気持ちを整理するようにしました。

少しずつ少しずつ自分を理解する事が出来ましたが、直ぐに男性を好きになるという問題はなかなか困難でした。

私は思い切って両親に病院に来て頂いて、主治医に現在の病状と対人関係の困難している事を伝えて戴きました。

するとずっと黙って聞いていた父親が突然先生にあの、それはどうやって関わればいいのでしょうか。と初めて質問しました。
私と主治医は父親が分かるように丁寧に説明していきました。
父親は初めて理解出来たようでした。父親も本人とどう関わっていいのか悩んでいたことが分かりました。

そこからあまり病院に面会に来なかった父親が頻繁に来るようになり母親だけでなく父親も本人のサポートをするようになりました。

その後退院も決まり退院後はアルバイトも復帰し適切なボーイフレンドも出来たと笑顔で嬉しそうに外来で話してくれました。

私は良かったですね。よく頑張りましたねと本人の頑張りを労いました。

今回のパターンは統合失調症の初期であった事や早期に治療出来たと事も大事でしたが、母親だけでなく父親との関係を取り戻す事でCさんが落ち着き男性との関わり方を修復出来たのではないかと思います。

何ヶ月も本人と話し合い家族の病気への説明や家族の不安もサポートしていく事で不安感が減ったのではないかなと思います。

統合失調症でも社会復帰してちゃんと働いて行ける人も多いのですが、人間関係で躓く時は病気てというよりも、機能不全家族や愛着障害が原因という事が多い気がしています。

もちろんこれは主治医とスタッフ一丸となりサポートしていく必要性があります。

服薬指導も大事でしたが家族のサポートもとても大事だとも学んだ実体験でした。

精神科病院で働いて時のエピソードです。本人のプライバシーに配慮し一部架空エピソードも含まれています。

私が忘れられない患者さんとの出会い。

20代の背の小さな女性Bさんはとても優秀な医大生でした。

お父さんは関東某有名大学病院の医師でした。

お母さんは同じ大学病院で働く看護師さん。

お父さんのお母さん(祖母)と妹の5人暮らしだっそうです。

Bさんは医師であるお父さんは優しくて病院スタッフからも尊敬されるくらい人格者。大好きで私も医師になると憧れ自らも医師を目指すことになり無事に有名大学に入り優秀な医学生として成績はいつもトップだったそうです。

しかしBさんが医学生となった頃家で突然心筋梗塞になり亡くなり、Bさんが第一発見者となってしまいました。
 
翌年祖母も突然の病気で自宅で倒れて所をまたBさんが発見してしまったそうです。

突然の死と目標だった父を亡くしてからBさんは壊れました。

非の打ち所もないくらい優秀だったBさんはガラガラ崩れ、大学に行けなくなり自殺未遂を繰り返す事が増えて入院となりました。

入院してからはフラフラ漂うように歩いては夜になると自殺未遂を繰り返す状態でスタッフからは1番大変な患者さんだとレッテルがはられていました。

お母さんは仕事で忙しいのか時々面会に来てはすぐに逃げるように帰って行きました。

毎日毎日夜になると死に場所を求めてトイレで首をつろうとしたり

高いところから飛び降りようとしたり

毎日毎日ヒヤヒヤしながらスタッフは関わり話を聴いてはなだめて部屋に返すの繰り返しでた。

そんな大変な患者さんでしたが

ある時期からお母さんがBさんと添い寝をし始めました。
 
本人の退行もあり、まるで幼児がお母さんに抱きつくように寝ったり甘えたりしていました。

しばらくするとあんなにしつこく死に場所を探していたのが無くなり

母子関係が少しずつ増えてから安定するようになりました。

お母さんは仕事や家庭の事でいっぱいいっぱいだったのですが

Bさんとの関係を見直す事でBさんは落ち着きを取り戻し退院され大学にも復帰出来ました。

立て続けにショックな出来事が続き死に場所を求めていたBさんでしたが

お母さんとの関係が改善され安定する事が出来たのだと思います。  

もちろん本人の頑張りもあり、スタッフも頑張ったのですが

1番大事だったのはお母さんに甘えられた事や受け止めてもらえたことなのだろうなと思いました。
 
やっぱり母子家庭特に愛着関係は人間に大きな影響を与える事をまざまざと体感した出来事と出会いでした。



私が入職したばかりで右も左も分からない時

数カ月前から入院していた摂食障害の女性がいた。

Aさんはとても美しく肌も白い

しかし食べては吐くを繰り返していた。

年齢は20代で体重も20キロ

私が働いた病院は全国でもちょっと有名な病院でした。

摂食障害の有名な先生がいたので全国から摂食障害や人格障害の診断を受けたがなかなか治らず先生を頼ってくる人が多かった



毎日4〜5名退院して午後入院同じくらいあるような病棟で


毎日新しい顔ぶれが変わる中

ずっとAさんはひっそりと入院していた

摂食障害で退院する人もいる中

彼女はずっと静かに入院を続けていた。

Aさんは毎日日記をつけていた。

それは母親に対する不満の内容だった。

どうしてお母さんは分かってくれないのか

一生許せないなど
激しい怒りが

長文で書かれていた。

Aさんは母子家庭で育ちその後お母さんは再婚して新しいお父さんいた。

時々面会に来るお母さんは美人だがAさんと似ておらずとても弱々しく幼いイメージだった。

母親が来ると必ず洗濯物を渡していた。

その時に手紙を渡していたのだが

その手紙にはお母さん。大好き。
だから早く家に帰して。お願い。

と書かれていた。

私は日記と手紙の内容が全く反対であったのがとても驚いた。

でも今なら分かる。

言えなかったんだよね。
 
お母さんに本音を言えなかった

お母さんと接触がある時や体重コントロールが出来ないと

スタッフを攻撃したり枕を投げつけられた事もあった

私はとてもAさんが苦しんでいるのに何も出来なかった

ただ雑談をしていただけかもしれない

そんな時に

ふっと私を見て

いいね。羨ましいと。

とても寂しそうな目をしていた。

とても美しく肌も白い綺麗な女性なのに

母親に受け止めてもらえず苦しんでいた

Aさんはとても我慢強かった

とってもとっても我慢していた

でも母親と本音で話すことは一度も無かった

私はAさんにいいね。と言われたのが

ずっと忘れられない。

愛に飢えたあの寂しそうな目

彼女とは沢山話をしたし同年代だった事もありジャニーズの話をして笑ったりした

でも何も出来ない私はとても無力感でいっぱいだった

今ならもう少し違った事が言えたのにな

しばらくして彼女は体重増加し退院した。







こんにちは。

親子療法士の梅子です。

今回も私が実際に体験したエピソードです。

機能不全家族に育った子供は

サバイバル環境を生き抜く為に

親に気に入られ生き抜こうとするパターンを選ぶ事があります。

私がまさにこのパターンです。

父親の不在。いてもアルコールに溺れる。

そんな父親の愚痴を言う母親の聞き役をやっていました。

両親が喧嘩すれば仲裁役となり

兄が母と喧嘩をすれば母の代わりに私が殴られ

母の愚痴聞き役

家事のお手伝い

妹は何もしない。

私は私がいなくてはこの家族は壊れると思い込み

ただただ母親が求める子供を演じていました。

幼少期は演じるだけで良かったのですが

社会人になってもこの演技は続きました。

母親が昔から憧れていた看護師になった事で

私は大人になっても母親が求める者を演じていました。

特に母は看護師といえば救急外来と思い込んでいたので

私をまずそこに働かせようとしました。

私は自分は精神科分野がいいなという気持ちを押し殺し

無理をして最初は集中治療室勤務となりました。

救急外来ではなかったものの集中治療室でとても喜んでいた母でした。

しかし入職してすぐに緊張感からか便秘になりすぐに不眠。そして動悸、不安感が出現してしまいクリニックに受診。軽い鬱と診断されしばらく休職していましました。

私が体調不良で休んでしまっていることを知ると母は激怒しました。

甘いんじゃないか。

鬱は気持ちの持ちようだ。

私は小さい頃から母親の愚痴を聞いていましたが

苦しいさなかの私の訴えは全く聞いてくれませんでした。

やっぱりおかしい。

私は確信しました。

入職して1年でその病院を退職し

すぐに希望していた精神科病院に働くことが決まると

あんなに苦しんでいた症状が嘘のように無くなり元気に働くことが出来るようになりました。

母は精神科に務める私をみっともないと怒りましたが

私はとても楽しくてイキイキと働けていたので
無視することにしました。

母親の望むようにあのまま我慢して集中治療室で働いて

自分の思いを押し殺していたらどうなっていただろうと思うとゾッとすると共に

どうして母は私にこんなにも干渉してくるのか

なぜ自分の理想を押し付けてくるのか不思議であるとともに

私の気持ちを今だに分かろうとしない態度に腹立ちさと

怒りがこみ上げてきました。

精神科病院に働いていると自分と同じように親に怒りを持っていたり、ちょっと不適合な看護師さんもいたりして。

色々話をする機会もありこの時期私は大変救われました。

母からはずっとみっともないと言われ続けていたのは悲しかったのですが

それでも元気に働くことの方が私は大事だと気付きもう二度と母の演じる大人になるもんかと心に誓いました。

親の期待する人間になろうとすればするほど

自分を押し殺す苦しさは激しくなっていきます。

特に幼少期から自然と身に着けてしまったパターンは大人になっても自然とやってしまうのが悲しい癖でしょうか。

でも、気づけたことがとても大切だったなと今は思います。

生きづらさは自分が生きやすくなるチャンス

もっと楽に生きていいんだよ

もう、無理して親の期待に沿わないで生きていいんだよ。

親が反対しても自分のやりたい事を選ぼう。

例え失敗しても自分の糧になるから。