私は長年の癖で

自分が何をしたいのか

何が好きなのか

分かっているようで

分かっていなかったのですが

今母親と距離を置いて

自分の感覚や

好きな物を

怯えずに

好きな感覚を

怖がらずに

やっています。

今好きな事は

早朝の散歩


朝の散歩は

小鳥のさえずりや

虫や風の音が

とても気持ちがいいものです。

自律神経も整いますし

気持ちが安定します。

更に朝の太陽のエネルギー  

気持ちいい☆

そして前からやってみたかった事

それは

小鳥を飼う事

いつも誰かに反対されていましたが

ついに

文鳥を飼い始めちゃった♥

桜文鳥♥

かわいい💞ですね(笑)

今まではやりたい事をやろうとすると

何故か不安になったり

反対する人の意見を取り入れていましたが

もう

辞めるのをやーめた!!

こんなに

自分が好きな事をすると

自分って、こんなに

元気になれるんですね。

今まで何やってんだろう私(;´Д`)

ちっくしょー


先日親子療法士協会の勉強会に参加してきました。

あぁリンクの貼り方が分からない💦
ごめんなさい。

そこで愛着障害についてやインナーチャイルドについて再学習

愛着障害は事前に勉強もしていたし

分かっていたつもりでしたが

うーん。

それでも人間関係で躓く癖が同じになってしまったり

人の目を気にして自分のやりたい事をやれなかったり

愛着障害に気付いただけでは何も変わらなくて

なんでそうなるのか

その時に自分がどんなに気持ちになるのか

がとても大丈夫なんですよね。

分かってるけど、

自分を掘り下げる作業は

とっても大変です。

しかし掘り下げると

とても大事なメッセージを受け取る事が出来ます。

私は今回の勉強会で

インナーチャイルド(過去の自分)
と会って来ました。

私の子供時代は

とても過酷できつかったのですが

泣いてた女の子が元気になって

もっとどんどんやりたい事をやらなければ!!

昔の自分に必ず自分を助けてあげるからねー!!

と約束すると

うん!!約束ね!!

と言って消えてしまいました。

ずっと残っていた傷が

少し癒えてきました。

インナーチャイルドの癒やしは凄い効果です。

そして

私は決意しました。

愛着障害に傷ついた人のカウンセリング

その仲間同士での話し合いする場を作ります。

色々考えていますので

近々ブログで報告します。

お楽しみに🌸
前回の続き

私は幼い頃から親を支える親子逆転状態で

とても子供らしく生きる事を選べませんでした。

しかし大人は子供に子供らしさを求めます。

私は大人の前ではわざと子供らしくオーバーに

はしゃいだり喜んだりして大人を喜ばせていましたが

心の中では全く違う感情が流れていました。

私の幼少期はぐちゃぐちゃでした。

友達とも関係がうまく取れず

誰を信用していいのか分からない

何を信じていけばいいのか全く分かりませんでした。

そんな変わっていた私を癒やしてくれたのは

自然でした。

私は友人とも馴染めなかったので

一人で過ごす事が多い幼少期でした。

いつも山や川に一人で遊びに行って

虫や花を沢山見てきました。

特に川が好きでした。

綺麗な水を見る度に辛い現実から逃れられていたと思います。

幼い頃から

早く死にたいなぁ

死んだら楽になれるのかな

と天国を妄想していました。

誰かが亡くなる度に

いいな私も早く死なないかな

と死を願う変な子でした。

小学校もあんまり楽しくなかったし

中学もいじめらたりいじめたりと悲惨でした。

上京して大人として働くと

これが不思議と地元の事を考える事が増えました。

もっとちゃんと楽しんで過ごせばよかったな。

友達に悪いことをしてしまったな。

私は大切な時期を無駄に過ごしてしまったのではないかと

強く後悔するようになりました。

もっとあの時期にのびのび過ごせていたら

もっとあの時期に親がしっかりとしていたら

もっとあの時期に甘えていたら

私は大人になってもこんな傷を抱えて生きていなかったかもしれない。

こんなに生きづらさを抱えていなかったかもしれない。

そういう思いが強くなり

母親にもう一度甘えたい

もう一度人生をやり直したい

子供を産んで自分ももう一度生まれ変わりたい

そう思う気持ちが強くなり

せっかく都会で働いていたのに

また戻る事になってしまったのです。

私は甘かったのです。

母はもう変わった。

私を今は愛してくれる

孫もいるし今は母に甘える時間だと

そう思ってしまったのです。

せっかく離れて生きていたのに

精神科で沢山親子問題で躓く人を見ていたのに

勉強もしていたのに

この有様です。

今の私がこのときの私に言ってやりたい。

しっかりしろー!!

親は何にも変わっていないぞーー!!

田舎に帰っても沢山苦労するからやめておけー!!

仕事も少ないし医療のレベルも低いぞ!!

しっかりそっちで自立して子育て頑張れ!!


あータイムマシーンがあったら

本当に戻りたきあの時の私に言ってやりたい


私はただ母にもう一度甘えたかったのです

その思いがすぐに砕け散るとは知らず


私は旦那を説得してダンナ子供を連れて帰ることを決意し

帰ることになりました。



おはようございます。

本日は穏やかな日曜日です。

今日は私の人生のターニングポイントです

私が今までの母親への恨み辛みを書いてきましたが

母と離れるタイミングはこれまでも何度もあった訳です。

上京した時

働いた時

その時はやっと母と離れたれた

これで私は自由だー!自立出来た!

と思っていたのですが

実際に離れていても生きていても苦しさは離れない。

苦しい苦しい

でもなんとか仕事は出来るけど

生きづらさは変わらない。

どうしてなんだろうと私は悩み続けました。

どこかクリニックに行ってカウンセリング受けてみてもいいかな

でもそんな事をして職場に知られても嫌だな

あーどうしよどうしよ

そう思ううちに同棲していた今のダンナと結婚する事になり

妊娠

出産(里帰り出産これは後日書きます)

でまた戻る時に

私はどうしようもない孤独感に苛まれてしまいました。

あんなに嫌いな母親と離れて自立する自身が子供を産んでちゃんと育てられるのか不安だったのです。

あんなクソ母でもちゃんと育ててくれたと急に美化し始めていました。

それが共依存であることや母子分離の不安になる事を後で知りますが当時は全く自覚なし。

産後2ヶ月不安定になり泣きながら子育てしていました。

母も何故か不安定になり泣いてました。

でも私は仕事もあるので帰らないといけないので

飛行機に乗るために帰るねと母に言いました。

母は「寂しくなるね。でもあんたには何もしてあげれなかったけど仕方ないね。あんたはむこうでやって行きなさい」

と言われました。
私は冷静になりました。

鬼滅の刃でいうと胡蝶しのぶの心境(あんまり似てなかった)

こいつ何言ってんの?
私に散々不満とか家族が壊れないように私が散々頑張ってやってきたのに。こいつ何もしないでいい母親ずらして私を帰らせようとしてんの?

こいつまじ許さねぇ

まじ許さねぇ

お前のやった事まじ許さねぇかなら

私の失った子供時代を何だと思ってるんだよこのやろー!!!

まさに怒りがこみ上げてきました。

許さない。

絶対に許さない。

お前は私に何もしてくれていない。

母親として何もしていない。

安全基地も果たしていないし

私に不安しか残していない。

このままには絶対しない

私はこのまま抱えた傷をこのままにしてはいけないと

直感的に思いました。

私は母から奪われた

自分の無くした時間を取り戻す作業をしなければ



そう思ってしまったんです。

これが後悔の始まりでした。
こんにちは。

先程まで九州は凄い雨でしたが被害が少ない事を祈っています。

さてさて

本日は私の母のお話です。

機能不全状態の家族を支える為に私は小さい頃から母親の相談役&方向性を決めていました。それは小学生低学年からしていたと思います。

母親は小学2年生の私に毎日愚痴を言って私はいつもうんうんと聞いてあげていました。

そんなある日母が泣きながら私に相談してきまきました。

母は「お腹の中に4人目がいるんだけど中絶しようと思うんだけどどう思う?やっぱり産めないから降ろした方がいいよね」

その時中学生だった私は驚いて「そうだね」しかいえませんでした。大体中学生の娘に自分が妊娠した事とか言う?しかもあんなに嫌って喧嘩してした父親とそういう事をしてた訳?

私はパニックになりながらも泣いてる母の話を聞いていました。
母は子供が3人いて苦しい。なのに育てられない。いや、そもそも避妊しないあんたら悪くない?
しかも今育てられてる私だってあんた達から虐待めいたことをされたり、精神的に追い詰めれてるんだから4人目産まれても可愛そうじゃね?

なんて沢山心の中で言葉が溢れていましたが。
結局降ろしたみたいでその後の報告もありませんでした。

私は中学生だったので親がそういう事をしている事や、自分が4人目を殺してしまったような感覚になり中学生の時は気持ちが不安定になりました。

それでも家にいると息が詰まりそうなので学校には行きましたが

学校にいてもまるで殺人者のような気持ちになり思春期も重なり私はけっこう荒れてました。

夜家からこっそり抜け出し夜中に街中を歩いたり友達と遊んだりしてました。

でも埋まらない心の隙間。傷が生々しく残り自分が生きていてもいいのかなと思い悩むようになりました。

今思い出してもなぜ母は子供の私に中絶したいと相談したのか理解に苦しみます。

おそらく自分で苦しみを抱えきれなくなったのでしょう。

しかし、その心の重みを子供に投げ込むのは絶対にやってはいけないと思います。

そして何故か毎日喧嘩していた両親の性を見せられた事で一気に母が嫌いになりました。

もうこいつの言う事を聞かないでおこう。この時から母を家族ではなく血が繋がっていない母親と妄想して生きて行くことに決めました。

いつか本当のお母さんお父さんが迎えに来てくれるはずだ。
早く来て。私を助けて。

毎日毎日そんな事を祈っていました。

近所の人から「最近顔がお母さんに似てきたね」といわれる度に

私ははぁ?全然似てませんけどね!と切れてましたね。

なんであいつが私の親なんだろうか。

強い嫌悪感で苛まされた思春期でした。

やっぱり母は

精神的に未熟で不安定だったのだろうと思います。

気の毒な人です。

そしてその気の毒さは現在進行形です。

おわり。