10月6日
午前中に病院へ面会に行った。
父は呼吸器を付けながら起きていた。
私が行くと看護師さんが呼吸器を外し、酸素マスクに変えてくれた。
父は救急車で運ばれた後のことは覚えてないようで、昨日死んだと思っていたけど朝が来て、生きていてびっくりしたと話していた。
今日も呼吸苦が辛そうだった。
体を拭いてもらうため、私は病室外で待つように言われた。10分くらいすると、父の担当の看護師さんが来た。
父の荷物として持参していたオキノームの飲んだ時間を記録しているノートを見たようだ。最初見たとき、あまりの量に間違っているのではと父に尋ねたが、あっていると言われびっくりしたとのこと。また、メサペインというあまり聞いたことのない薬も使っていて、痛みが本当に酷いことが伺えると言われた。
私は最初の陽子線治療後に発生した晩期後遺症の痛みから現在に至るまでの経過を話した。
昨晩も痛みと苦しさで父は辛そうにしていたそう…苦しんでいる姿を私たち家族に見せたくないと言っていたそう。。
そんな話をすると、看護師さんの方からそろそろ寝てあげても良いのかもしれないと話があった。
家族の皆さんはどう考えているか聞かれた。
心の中では父と話せなくなる寂しさ切なさはあったが、私たち家族は2年間の痛み、そしてここ数日の苦しさを見ていると、これ以上の苦痛を味わってほしくなかった。
そして、再発、肺転移が分かった時から父自身がこれ以上の痛み苦しみだけは嫌だと…苦痛を取り除くことを1番に望んでいた。
看護師さんと話し終え、病室に戻ると主治医が来た。
鎮静の話を父本人へして、意思確認をした。
父はしっかり聞き、
お願いします。
と言った。
父の希望を否定することはしない。
でも、私は、
母がもうすぐ来るので…それまでは…
と言ってしまった。
それを聞いた父は、
もうお母さんともお別れをしてきたから大丈夫だ。早く楽にさせてくれ。
と。
そして、準備が始まった。
母や兄弟たちも父が起きているうちに会うことができた。
午後2時頃だろうか…父は眠りについた。
眠りについてからも日付が変わるくらいまでは時々朦朧としながら目を覚ますことがあった。
しかし、もう話はできなかった。