谷崎 潤一郎 の エッセイ 「 芸術 一家言 」 の ご 紹介 です。 | 詩 と 散文 と 音楽 の 広場 ☆ ミックス・ヴォイス の 見つけ方

詩 と 散文 と 音楽 の 広場 ☆ ミックス・ヴォイス の 見つけ方

僕は カバーや オリジナルの 歌や 小説を作って 公開してます ☆
◇ My YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCOyJXTmB1z6CdzuawVE9oOg
超長編小説の『雲は遠くて』、ネット公開中。
◇novelist.jp (ノベリスト・ジェーピー)
http://novelist.jp/63097.html

「 一家言 」という 言葉は、
主張 や 考え を 表 (あらわ) す
言葉として 使われます。

この「 芸術一家言 」 は
大正9年 (1920年)
谷崎 が 34歳 の とき
「改造」 に 発表 された。

◇ 44 ページ から。

〈 前 略 〉

芸術 は 事実の 記録ではなく
美 を 創造するのであるから、
そこ に 生み 出された
美 は 一個 (いっこ) の
生物 で   ━━━
一個 の 有機体 (ゆうきたい)
で なければ ならず、
すで に 生き物 である 以上
それは それ 自身 に
おいて 統一 された
完全な もの であり、
部分 は 全体を 含 (ふく) み
全体は 部分 を
含まなければ ならない。

部分 が 成 (な)り立 (た) つ
と 同時に 全体 が 成り立ち、
全体 が 成り立つ と 同時に
部分 が 成り立つ。

たとへば 色 と 光 の
ごとき もの で、
その 本質は もともと
一 (ひと) つ で ある。

この ゆえ に
真 の 芸術品 においては、
一点 一画
(いってん いっかく)
の 間 (あいだ) にも
作家 の 全 生命 が
宿 (やど) っていない
はず は なく、
すでに 全 生命 が
宿っている と すれば、
その 技巧 なり 文体 なり
組み 立て なり は、
たとえ 一見 (いっけん) して
拙劣 (せつれつ) のように
見え 不均斉 (ふきんせい)
のように 見えても、
その 作家 の 現 (あら) わす
ところの  固有 の 美 にとっては

完全な もの であり、
その美 が 生きていくためには
そうでなければ ならない
はず の もの である。

だから 「 技巧 は うまい が
内容 は 乏 (とぼ) しい 」
など と いう 事実 は
ありえない ので あって、
内容 が 乏しければ
いくら 技巧 が うまそうに
見えても 実 (じつ) は
拙劣 (せつれつ) なのである。

技巧 や 形式 は
抑 (そもそ) も 末
(すえ = 最後) の 問題
だというのは、実 に
この 意味 において のみ
真理 で ある。

【 言葉 の 意味 】
✳ 有機体とは、
それ 自体に 生活 機能 を
そなえている 組織 体。
他 の 物質系 と 区別して、
生物 の こと。

✳ 不 均斉 とは、
均整 (きんせい) で
無 (な) いこと。
✳ 均整 とは、
つりあい が とれて
整 (ととの) って いる こと。

〈後略〉

□ 参考 文献

谷崎 潤一郎 全集
第20巻
中央公論社
昭和57年 12月 発行

https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/6058/
https://media.thisisgallery.com/20217617