「 一家言 」という 言葉は、
主張 や 考え を 表 (あらわ) す
言葉として 使われます。
この「 芸術一家言 」 は
大正9年 (1920年)
谷崎 が 34歳 の とき
「改造」 に 発表 された。
◇ 44 ページ から。
〈 前 略 〉
芸術 は 事実の 記録ではなく
美 を 創造するのであるから、
そこ に 生み 出された
美 は 一個 (いっこ) の
生物 で ━━━
一個 の 有機体 (ゆうきたい)
で なければ ならず、
すで に 生き物 である 以上
それは それ 自身 に
おいて 統一 された
完全な もの であり、
部分 は 全体を 含 (ふく) み
全体は 部分 を
含まなければ ならない。
部分 が 成 (な)り立 (た) つ
と 同時に 全体 が 成り立ち、
全体 が 成り立つ と 同時に
部分 が 成り立つ。
たとへば 色 と 光 の
ごとき もの で、
その 本質は もともと
一 (ひと) つ で ある。
この ゆえ に
真 の 芸術品 においては、
一点 一画
(いってん いっかく)
の 間 (あいだ) にも
作家 の 全 生命 が
宿 (やど) っていない
はず は なく、
すでに 全 生命 が
宿っている と すれば、
その 技巧 なり 文体 なり
組み 立て なり は、
たとえ 一見 (いっけん) して
拙劣 (せつれつ) のように
見え 不均斉 (ふきんせい)
のように 見えても、
その 作家 の 現 (あら) わす
ところの 固有 の 美 にとっては
完全な もの であり、
その美 が 生きていくためには
そうでなければ ならない
はず の もの である。
だから 「 技巧 は うまい が
内容 は 乏 (とぼ) しい 」
など と いう 事実 は
ありえない ので あって、
内容 が 乏しければ
いくら 技巧 が うまそうに
見えても 実 (じつ) は
拙劣 (せつれつ) なのである。
技巧 や 形式 は
抑 (そもそ) も 末
(すえ = 最後) の 問題
だというのは、実 に
この 意味 において のみ
真理 で ある。
【 言葉 の 意味 】
有機体とは、
それ 自体に 生活 機能 を
そなえている 組織 体。
他 の 物質系 と 区別して、
生物 の こと。
不 均斉 とは、
均整 (きんせい) で
無 (な) いこと。
均整 とは、
つりあい が とれて
整 (ととの) って いる こと。
〈後略〉
□ 参考 文献
谷崎 潤一郎 全集
第20巻
中央公論社
昭和57年 12月 発行
https://www.ndl.go.jp/portrait
https://media.thisisgallery.co