NHK テキスト 100分 de 名著 「 歎 異 抄 ( たん に しょう ) 」 のご紹介で | 詩 と 散文 と 音楽 の 広場 ☆ ミックス・ヴォイス の 見つけ方

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『 歎異抄 』に 収 (おさ) められた
親鸞 (しんらん) の言葉と、
苦悩と 矛盾に満ちた
その 生き方 から、現代を 生きる
私たち への ヒントを 探る。

講師は、釈 徹宗
(しゃく てっしゅう) さん。

釈 徹宗 さんは、日本の仏教僧、
宗教学者。大阪府池田市にある
浄土真宗 本願寺派 如来寺
住職 兼 相愛 大学 学長。

親鸞 聖人 ( しんらん しょうにん )
( 1173 − 1262 )は、
日本 最大の宗派、浄土 真宗の
宗祖です。
先生の 法然 上人 の 教えを
受け 継ぎ、その 本質を 明らかに
しました。その 一枚 看板 は、
生きているときに、
絶対 の 幸福 になれる、
平生 業成 の 教えです。

* 出典 日本 仏教 学院

◇ 32 ページ から。

第2回 悪人 (あくにん) こそ が
                救 (すく) われる

親鸞 思想 の 最大 の 逆説
「 悪人 正機 説 」

〈 中 略 〉

◇ 44 ページ から。

親鸞 は 晩年 近くになって
「愚禿 悲嘆 述懐」
(ぐとく ひたん じゅっかい)
という和讃 (わさん)
【 正像 末 和讃 】
を つくっています。

哲学者、評論家 の
 梅原 猛 (うめはら たけし)
さんは「 これに 最も
親鸞 らしさが 現れている 」
と 述べています。

一首、紹介しましょう。

「 無慙 無愧 ( むざん むぎ )
の この 身にて まことの
こころは なけれども
弥陀 (みだ)の 回向 (えこう) の
御名 (みな) なれば
功徳 (くどく) は
十方 (じゅっぽう) に
みちたまふ 」

《 慚愧 (ざんき) の 心は
まったくない
我が身 であるから、
真実 の 心 など ない。
しかし、そんな 私 に
阿弥陀 仏 (あみだぶつ) の
名号 が 回向 (えこう) されるので、
その 功徳 は この 世界に
満ちているのだ。》

自分 の 方 には 真実 は
ないけれど、仏 の 光 に
照らされているのですね。

親鸞 は  500首 を 超える
和讃を 創作 していますが、
80代 後半 の 正像 末 和讃 の
最後 には、
「 是 非 ( ぜひ ) 知らず 
邪 正( じゃ しょう )もわからぬ
この み なり 小 慈 小 悲 も
なけれども 名利 (みょうり) に
人 師 (にんし) を このむ なり 」

《 ものごとの
是非 も わからず、
邪・正 の 判断 も
できない 私 である。

人 として 最小 の 慈悲 も
持っていない 身 で あるが、
世間 から 評価 されたり
先生 と呼 (よ) ばれることを
好 (この) んでしまうのだ。》
と あります。

『 歎 異 抄 』第6巻 にあるように、
「 親鸞 は 弟子 1人 も もたず
候 (そうろ) ふ 」
と 普段から 語っていた ようですが、
「 つい、師 となる ことを
喜んでしまう 」と 言うのです。

やはり、なかなか 簡単 に
把握 できる 人 では
ありませんね。

親鸞 という 人 は でかい 人 です。

〈 後 略 〉

☆ 言葉 の 説明 ☆

* 悪人 正機 説 とは、

《名》 (「機」は 教 の 対象 の 意 ) 
阿彌陀仏 の 本願である 救いは、
悪人 こそ 受けられるものである
という 説。
浄土 真宗 の 真髄とされる。

* 阿弥陀仏 (あみだぶつ) とは、

《〈梵〉Amitābha(無量光仏と訳)
Amitāyus(無量寿仏と訳)
の 音 写 から》
西方 浄土 の 教主。すべての
衆生 を 救おうと 48 の 誓い を
立てた 仏。
浄土 宗・浄土 真宗 では 本尊 とし、
念仏 による 極楽 往生 を 説く。
弥陀。阿弥陀。阿弥陀 如来。

* 功徳 (くどく) とは、

仏語。
1. 現世・来世に幸福をもたらすもとになる善行。善根。「 功徳を 施す 」

2. 神仏 の 恵み。御 利益 (ごりやく) 。

* 回向 (えこう) とは、

仏教 に おいて、自己が 仏道を
修めた 善い 行為 や 功徳
(くどく) を、すべての 人々の
悟り のために 振り向ける
ことをいう。

* 無慙 無愧 ( むざん むぎ ) とは、

《名》 仏語。悪いことを しながら、
恥 (は) ずかしいと 思わないこと。
「 無慙 」は 自己に 対して
恥じないこと。
「 無愧 」は 他人 や 世間に
対して 恥じないこと。

* 慚愧 (ざんぎ) とは、

一般的な 読み では「ざんき」。
普通には ただ「 恥 (は) じること 」
の意味で 使われるが、もとは
仏教 語 で、慚 と 愧 とは
別の 語である。慚 は 自らの 心に
罪を 恥じること、
愧は 他人に 対して 罪を 告白して
恥じること。
また、慚は 自ら 罪を 犯さないこと、
愧は 他に 罪を犯させないこと。
さらに このほかにもいくつかの
解釈 がある。これらの 反対語は
無慚 (むざん) 、無愧 (むき) という。

◇ 出典  コトバンク

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□ NHK テキスト 100分 de 名著
「 歎 異 抄 ( たん に しょう ) 」
NHK 出版 発行

https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/53_tannisyou/index.html
https://www.nhk-ondemand.jp/program/P201600142000000/