ちょっと思い出したので書いてみます。


もう、13年位前の話しなのですが


その頃の和多志は


家の近所にあるコンビニで


働いてました。


コンビニと言うことで


働いているのは若い人が多かったですね。


コンビニは覚える事が沢山あって


大変だし、タバコの種類は多いし、


客の中には


人を見下した態度をとる人が多かったです。


その同僚の中に


田中(仮名)君がいました。


九州から出てきて


友人とルームシェアしている


30歳ぐらいの人でした。


田中君は夜勤専門だったので


朝専門の和多志とは


朝の一時間ぐらい顔を合わせるぐらいな関係


でしたが


田中君はとても優しく


わかない事があると嫌な顔せずに


教えてくれました。


さて、ここから本題なのですが


和多志が朝、いくと


「好きな廃棄取って下さい」と必ず言われました。


田中君は必ず廃棄は持って帰っていました。


田中君は三食


コンビニの廃棄を食べていたと思う。


和多志も昼食は廃棄を食べていましたし、


その持って帰った廃棄を家でも食べていました。


色々なスイーツや弁当やサンドイッチ、惣菜パンなど色々食べてました。


そこのコンビニに和多志は五年働いていたのですが


田中君の変化が


和多志が入ってから1年ぐらいから表れはじめ


そこはワイシャツにネクタイで上着に支給される白とブルーの制服だったのですが


ワイシャツって、自分持ちだったのですが


キレイ好きだったら毎日洗濯すると思うのですが


田中君は襟のところが真っ黒になっても着ていました。


周りの人が注意をしたのですが聞く耳もたず

状態。


それに何だかとてもイライラしていて、


飲み物を補充する部屋(名前をわすれた)


に入ると段ボールを足で蹴っている音がする。


顔つきも鋭くなっていった。


客にもイライラしていた。


あと、そこのコンビニの店長も三食コンビニ弁当


オーナーの息子なのでほぼ毎日出勤


身体が大きくてだるまさんみたいだったけど


この店長も糖尿病でした。


全く運動もしないし、自宅はコンビニの近くだし、


嬉しそうにコンビニ弁当を好きなだけ食べてました。


店長と一緒にシフトに入ることが多かったのですが


釣り銭を間違って渡すことが多くなり


目がよく見えないと言い出したので


しぶしぶ、病院に行ったら


完全な糖尿病末期でした。


そこのコンビニは私が辞めてからすぐにつぶれてしまったので


田中君や店長はどうしたのか?わからないですが


たぶん、店長は透析。田中君は???


まだ二人とも30代だったのに。


和多志も廃棄食べすぎて突然、味覚障害になってしまい


ある時、カレーを食べたら味がしなかった


すべての味覚がなくなったわけではなかったのですが


とても悲しかった。


食べるのが一番楽しみなのに。


この味覚がないのが一生続くのは困った。


色々、検索してもわからなかったので


とりあえず味の濃いものは食べない


コンビニの商品はすべて食べない


商品の裏を確認する。


飲み物も中身を確認する。


それで、どうするか?と思って


病院に行っても治らないとはわかっていたのとわけのわからない薬を飲まされるから


家にあった


椎の実(重金属の解毒)を毎日たくさん食べて


サルトリイバラの葉(解毒作用がある、100の毒を消してくれる)のお茶を飲んだり、


腰湯などやってみたら


味覚が復活しました。


その時、食べ物は大切だな?と痛感した。


皆さんはまだ若いから


大丈夫だろうけど


60歳ぐらいになると今まで色んなところでとってきた添加物や農薬などが蓄積されて身体に出てくる。


もちろん、その前にでてくる人は沢山いるだろうけど。


やはり解毒するのが一番いい。


昔の人は


フグの毒にあたったとき


砂浜に埋まったらしい。


これは砂浴ですね。


土に埋まってもいいけど


周りにはえている植物が枯れてしまうほど


身体から強烈なガスがでるみたいですね。


だから砂浜がいいです。