善意で差し出されるお節介アレルギー


物理的に助かることは多々あれど、

助かった事実に「ありがとう」と発すると

「むふ。」と満足そうに発される

なんとも言えない絶妙なアレにオエっとなる。



嫌になっちゃったんだよな。人が。

人と関わることも怖くなったし

自分も他人も嫌になっちゃった。

信用出来ないし好きになれない。



自分の善意・好意が受け入れられなければ

ふーん、可愛くないわね。

へー、むずかしい子ね。

まったく、仕方ないわね。って

なんねんで。


こんなに親切にしてるのに

思ってるのに、拒否するなんて…

ってことだよ。


それって、

ほんとに優しさ?なの?

その裏にある欺瞞にきづいてる?

ほんとに親切?

その親切に付随する重しが見えない?


などなど。

どうしても、そう思ってしまいます。




でもさ、彼らに悪意は無いわけ。

押し付けがましいなんて自覚もないわけ。

100パーセント善意なわけ。

いいことしてるって本気で思ってるの。

まぁ物理的に事実いいことだしね。

助かる面は大いにあるから。



だからね、今度は自分を嫌っちゃうのよ。

なんで100%で、

感謝できないんだろう。って。


なんで

素直にありがとう嬉しいって思えないんだろ。

しんどいな。。っていつも思う。



だから施しを受けたくない。

関わりを持ちたくない。

気持ち悪い。



本人たちはまるで自覚ない。

見返りを求めてるつもりなんてない。

重しをプレゼントしてるつもりなんて

さらさらない。

人を助ける行為に自分が依存してる

…そんな視点、もちあわせてない。

してあげた感なんて全く出してないつもり。



依存してる?えぇ?まさかまさか!

私は助けてあげてるのよ?


って、本気で思ってると思う。



嫌になっちゃうんだよな。

こんな自分。

あんな人達も。


人のせいにして楽になれたらいいけど、

結局ぜんぶ自分に返ってくる。


人を嫌えば嫌うほど

自分を嫌いになる。

自分を嫌えば嫌うほど

人にもゲンナリする。


繋がってるんだね。


面倒くさいな。

元家族。