久しぶりにblog更新しました。
もうかれこれ10日くらい体調を
こじらせていました。
実はまだ
体の中の
不良達と戦っております。
この点においては
もう少し元気になって
記事を書き
改めて共有できたら・・・
と思っています。
これから書く内容と
体調については
関係性はありません。
今回は私みたいな思いを
する人が存在してほしくないなぁ
という、無茶ですが、
希望的観測でblogを更新。
最初に誤解のないように書くと、悪者はいないんでっす。
ただ、微妙な気分🙄
モヤモヤするってだけの話(•﹏•๑)
今日は、"2人の母親について"がテーマです。
blogで以前、私の生い立ちについて触れたことがあります。
私が1歳~2歳の頃、両親が離婚し、私は父方に引き取られました。
産みの母には離婚以来一度も会っていません。
離婚後、父はお見合いをし、私が3歳~4歳の時、再婚しました。
それが、育ての母である今の私の母です。
あくまで、blog上、わかりやすくしたいために、産みの母と育ての母と表現していますが、私自身の気持ちとしては、育ててくれた母親のみがリアル母です。世の中では、継母(ママハハ)っていうんですよね。
当人である私には、母に色々な呼び方があるのは、しっくり来ていません。
血の繋がりは、どうであれ母親は母親なんです。
恐らく、血の繋がりがあるご家庭と大差ないかと思います。
ごく自然な母娘ですから(笑)
反抗期や思春期は、さすがに衝突しました。
葛藤も、数えきれない程ありました。
母親は厳しい子育てをするので受け入れられないことも、しばしばで^^;
そんな母親が昨年、末期癌をわずらいました。
見つかった時に余命半年の告知でした。
今まだ生きています
既に余命の2倍である1年を迎えようとしています。
ただ、ここにきて、急に容態が悪くなりました。
非常に危険な状態です🤕
医師から父が状態を聞き、私は父から深刻であるということを一昨日聞いたばかりです。
今、私は夫と娘と千葉で暮らしていますが、実家は秋田です。
父からは電話で母の容態を聞きました。
電話を切ってから、涙が溢れましたㅜㅁㅜ
亡くなってはいないのですが、なんともいえない思いが巡ってきて、感情がドバドバとめどなく出て来ました。
65歳未満にて、もっと生きてほしいと何度も何度も思いました。
さて、ここからです🙂🙃
私へ一通のお知らせメールが来ました。
〇〇さんからFacebookのお友達リクエストが届いています
名前を見て、ギョッとしました。
産みの母でした。
プロフィール画像は孫2人に挟まれて、笑っている姿でした。👦🏻👵🏻🧒🏻
(孫を見たことはありませんが、私の娘と似ていたので間違いないと思います)
タイミングが悪かったのは、いうまでもありませんが、不快でした
私は母親の写真を父と結婚している当時のものしか見たことがないのです。
それをSNSで見ることになろうとは・・・
Facebookなので実名でも良いようなものですが、微妙な名前に変形されていました。
そのネーミングセンスがまた不快をふくらませてしまいました
(´Д`)ハァ…
私、この人のお腹から出てきたんだよね💦
なんだかなぁって思ってしまいます。
皆さんは、doctorディマティーニの正負の法則という本ご存知でしょうか。
一つのことには、2つの対極の見方ができるという内容です。
プラスとマイナス。
片側しか見えない状態というのは、自分が最初にどう感じたかという点で、マイナスの感情であっても、持ち合わせて良いものだと思います。
ただ、そのままずっと偏った見方しかできないのは、幸せに生きていくための弊害になると私は考えています。
ですから、今回のこの状態も、見方を変えることは可能なんです。
例えば、Facebookは友達も見れてしまうツールだって知らないんだろうな。
だから、私の両親がもし見た場合にどう思うとかの考えに至らないんだろうな
Facebookの情報から、産みの母を取り囲む人間関係が見れてしまうということも知らないんだろうな
SNS上で、同じお腹から出てきた種違いの兄弟まで見れてしまうってことが私にとっては嬉しくないことだってわからないんだろうな
さらには、孫達まで。私の娘にとってのいとこにあたる子達
ぜーんぶ、SNS上で見れるのを知らないか、もしくは知られても問題ないと感じているか。
勿論、見る必要が今の私にはないので、見ません
正直なところ、今、色々な情報を得て、自分が動揺することは避けたいと思いました
母の命の期限が迫っている時に、産みの母に気を取られたくないのです。
そのようにメッセージを送ろうかとも思いましたが、文章考えているうちに嫌になり放置しました。
ドラマでも見たことがないくらい、チープですが、こんなことってあるんですね
私は私の娘に、このような体験をさせることがないことに安心もしました
産みの母は社会を知るための教材としては、私の人生に貢献してくれています。
うらみや憎しみもありません
(関係が薄いせいかもしれません)
それでもさすがに、SNS上で
ドーンと、お出ましされると娘である私は引くものなんだなと思いました
知らぬが仏
私がこれまで思っていたのは、産みの母に幸せで
過ごしてもらいたいなということ
今回気付いたのは、あくまで私の知らない世界で笑っていてほしいということ
恨み節ですかね
って、悩みを繰り返しました。
この自問自答の時間が今の私には不要じゃろーってなりました
HAHAHA(´▽`) '`
母には( ´∀`)ハハハですよ。
参りました