最初に紹介しましたが、富山局は戦前から戦後にかけてこの標語印が使用された唯一つの局です。しかしその印影は見えたり見えなくなったりしております。なぜでしょう?

 

富山局戦前使用 昭和18年2月13日

 

富山局戦後使用 昭和22年1月1日

標語印ではありますが、文言がわかりません

 

拡大図 記号だけがかろうじて分かります

 

富山局戦後使用 昭和23年1月2日

文言も記号も全く分かりませんが、多分この標語だと思います

 

富山局戦後使用 2月16日

その1か月半後ですが文言はかろうじて読めます

(収友のYさん所有)

この標語印の文言は戦後、記号だけ残して削られたのだろうと最初そう推定しておりました。しかしその後にまた文言が読める標語印が出現したことから単にかすれていただけでしょうか?よくわかりません。