自分を見つめる作業。

モヤモヤを言語化しようと原因探しに必死になる。


苦手だった人たちの顔が浮かんだり

幼少期の親子関係が悪かったんじゃないかとか

就活で自信をなくしたとか


過去を振り返っては原因探しをする作業を何度も繰り返してるけど、意味あるのかな?ということに気づく。


心理のYouTubeを色々見ていると、幼少期の原因がよく指摘されている。

私は両親が不仲だったし、小学生の時に父を亡くし、世間的には可哀想な家庭で育ったし、母はいつも非協力的で、自分の家が嫌いだった。


鬱になった当初は原因探しに必死だった。

母親との関係から、人に頼れず抱え込んだり、人の顔色を伺う性格になったんだと母を恨んだ。いや、父のせいで母はいつもイライラしてたんじゃないかと亡くなった父を恨むこともあった。


先日久しぶりに家族が集まった。大人になった今、家族とは適度な距離感で各々が自立して生きている。私は今家族のことが好きだと思った。


原因探しに必死になって、昔のことに執着する意味はないよなって思った。

昔は確かに嫌な思いをしたこともあった。その時は辛かった。でも各々が辛いことを乗り越えて、今それぞれ元気でいるなら幸せじゃん。


向き合って、認めて、手放す。

その感覚を少し掴めた気がした。