どーも。ここ1週間で福沢諭吉先生が10人旅立ってしまった問題児です。
ちなみにうちの学校は、福沢諭吉の事を福沢先生って呼ばなきゃいけないんですよ。
それどころか本物の先生には、「〇〇さん」と「さん」づけで呼ばなくてはいけなく、福沢諭吉だけ先生であるっていう訳のワカラン思想の中育ってきました。
つまり、「財布の中に諭吉がたくさん入ってる」っていう表現が、うちの学校では「財布の中に福沢先生がたくさん入ってる」と意味不明な表現になります。
アメリカでは「ワシントンが失踪した」とか「リンカーンが独立を諦めた」という表現になるんでしょうか?
とここまで書いてきたんですがblogのテーマがまだ思いつきません。雑談を続けましょう。
いや!思い付いた!
ずばり「尊敬する人」について。
これはたまに面接で聞かれる質問です。皆さんは尊敬する人っていますか?
私の持論として、「いかなる人でも尊敬できるモノは一つ以上持っている」というのがあるので、自分以外の全ての人間に対して尊敬の念を持っています。
とドヤ顔で書いてみましたが、本心で思っています。
というのも、皆さんは知らないでしょうが私は駄目人間。他の人が輝いて見えるんですね。
何かに対して真剣に取り組む事が出来ているだけで、私はその人を尊敬します。
私は物事に対して真剣に取り組んだ事がほとんどありませんから。
人間っていうのはリミッターがかかっており、自分の力の100%を出す事は絶対ありません。
一生のうち、一回も使われない筋肉が大半らしいですから。
オリンピックで『ドーピング』が問題になりますが、ドーピングっていうのは、人間のリミッターを外し、人間が出す事の出来る限界を超える事を可能にする行為です。
他に例を挙げると、『火事場の馬鹿力。』これは、人間がピンチの状況になると脳のリミッターを外して、普段では出す事の出来ない力が出せるというものです。
余談ですが、日テレでやっていた特命リサーチ20XX(タイトル曖昧)で火事場の馬鹿力の特集をやっていたんですよ。
その特集で、ある女性がマンションから落ちてきた赤ちゃんを見て、全力疾走して落ちてきた赤ちゃんをキャッチしたっていう話の解析をしていたんですね。
解析した結果が、なんとその女性はオリンピック選手並のスピードを出して、赤ちゃんを助けた可能性が高いという結論が出たそうです。
あの頃のテレビ番組なんで、信頼性は微妙なところですが、当時はなるほどと思った記憶があります。
話が随分脱線しました。
つまり人間が出せる力というのはせいぜい20%。それが『ドーピング』や『火事場の馬鹿力』で30%くらいになるって事です。
よく「本気を出した」っていう表現がありますが、実は人間が出せる本気は、まだまだ先があり、『たった20%の力』を本気の力であるとしているのです。
しかしこの『たった20%の力』をも出す事の出来ないのが私です。
一つの質問をしましょう。「一週間後に学校の試験があります。あなたはいつから勉強を始めますか?」
「前日夜から始めてその日徹夜。」までの答えをした人は正常だと思います。
私の答えは「その日の朝電車乗っている時から。」です。
もちろん授業なんてほとんど聞いてません。
しかし成績は並。
もっと前から勉強すれば、これ以上の成績とれるだろうと思うのですが、その「もっと前から勉強する」という行為が出来ないのです。
今までずっとこういうやり方をしていた為か、やらなきゃいけない最低限のラインを逆算して、そのラインにあった力を出しているという訳です。
これが、私が「たった20%の力である本気」を出せない理由です。
今私は就職活動をしていますが、この状況に及んで、他の就職活動生の半分以下の努力をしていないでしょう。
つまり努力をする「たった20%の力である本気」を出す才能も重要であると私は考えます。
あれどんなテーマだっけ?「尊敬する人」だったっけ?
んなもんアソコがでかい人に決まってるだろ。
今日はこの辺で。タイトル何にしよう・・・