ご機嫌麗しゅう。
本日最終日。
ニュージャージー州からジョージワシントンブリッジを渡り、ニューヨーク州へと入り、少し南下して、ニューヨークシティと言えば、マンハッタン、マンハッタンと言えば、タイムズスクエアじゃん。(最終5日間くらい省略笑)
てことで、2015年3月18日にスタートしたこの旅もようやく終わりを迎えました。
【】
達成感てのは、ほんの少しだけで、もう歩かなくていいんだ。という解放感と、さて次はどうやって人生の冥土までの暇つぶしをしていこうかな。ってことを考えてるふりをしてます。
この旅、挑戦には、特別な能力は全く持って必要なく、多くの時間と少しの体力さえあれば、暇さえあれば、誰だってできることです。
できないよ。って方がいることのほうが驚きます。
確かに、僕が感じられた、僕だけの旅であったことは疑いようはありません。
人や景色、モノとの出逢いは、どれをとっても僕だけにできる体感でした。
でもそれは、日々生きているみんなに起きていることと同じです。
"旅"というものが、何かとても特別なことで、貴重な経験をしたね!!と、思っておられ、言われることが多いですが、
それぞれがそれぞれにしか感じられない瞬間を生きているのは、みんな同じです。
旅人であろうと、社会人であろうと、人と同じような出来事でも、自分が感じることと人が感じることは違う。
そう捉えることで、全ては貴重な経験になるはず?
【】
この経験を活かせ。
恐らくは、次の行動にこの経験を活かさないと、意味がないぞ。
と、大方そう言うことなんだろう。
僕としては、次に活きなかったところでこの旅が無駄になることなんて決してない。
この経験が活きていると感じるのは、明日かもしれないし、10年後、20年後かもしれない。
それに経験値をためることで何かの必殺技を会得したわけではない。
経験は、活かすものじゃなく、いつの間にか活かされているものじゃないかと思う。
それが、あの時この時の経験から来ているものなんだ。と感じるのは、ただそれに気づくだけのことなのかと。
そもそもこの旅を何のためにやったのかさえもわからない、むしろ歩く気なんてなかったことから考えれば、活かすも何もあったもんじゃない。
それでもいい。
僕の心には残った。
"歩いて良かった"
という紛れもない真実が。
【】
アメリカに来る前に婚約をするというミステリーもありまして、僕は来年結婚をすることに相成っております。
てことでね、次は金稼ぎ。ですね。
決して裕福な家庭に産まれたわけではないですが、金銭面での苦労は何不自由なく育ててもらっちゃったので、自分の家庭、いずれ産まれてくるであろう子供にもその不自由はさせません。
大人の階段、ようやく登ろうと思います。
自分のためだけに生きてきた僕が、これからは人のためにも生きる。
できる気しかしない。
人生は甘くないぞ。
と、どこかの大人が物申す。
大学を卒業し、安定を求め就職活動をし、社会にも慣れ、家庭を持ち、お小遣い制になり、、、、。
人生は甘くない。
そうつぶやく。どこかの誰か。
あの日夢見た安定は手に入ったのか。
安定を夢見るから、不安になるんだ。
安定なんてこの世に存在しない。安定感のある人生なんて面白味は少ない。
不安定でいい。
そう思っている僕に人生に甘いもクソもない。
人生は面白ければそれでいいのだ。
太陽は西から登って東に沈んでもいいのだ。
一人の女性を幸せにする。
それが次の目標でもあるが、それは死ぬまで続くことになる。
いつか僕か彼女が死ぬまで、僕には彼女を幸せにし続ける義務がある。
できる気しかしない。
その証明は僕の人生を持ってしか証明することはできない。
って、こんなこといちいち考えてなんかいられないっす。
寝たら忘れる。
笑って生きる。
史上最高の楽観主義者を目指して。
New York City,New york
と、記したのが旅の終りの二年前。(2015年10月)
現在、去年末に娘の麗が生まれ、家族3人で新しい生活をはじめている。
自分の精神年齢からすると、僕はどうやら大人の階段に登るには少々早かったようだ。
ピーターパンではいられない。
そう気づいたのは、いや、そう気付かされたのは娘が産まれて約半年後。28歳の時だった。大人としても、親としても、少しずつ階段を登りはじめています。
自分の不甲斐なさを笑い飛ばし、
と、記したのは4年前の2017年。
急に何となく自分のブログにアクセスし、ブログが完結していないこと、書きかけの未投稿記事があったことを思い出した。
現在(2021/03/21 05:44:42)
子供は2人になり、「大人になる」とほざいて、離婚届が複数回差し出された過去を振り払うため、隊長(妻)から一定の評価をしていただいているくらいには、とーちゃんとして生きていけてる気がしています。笑
アメリカに行く前にバイトをしていた八百屋で今も働かせていただいており、日々奮闘しております。
「何のためにやったの?」
の問いには
「暇だったので」
と、答える。そうすると相手の興味は削がれる。気づけばもう6年も前の話です。過去の話でしか今の目の前の相手を楽しませることができないのは不甲斐ないので、あまり披露することはありません。
ただ、アメリカ以前にも行った色々な旅も含めて、今の僕に精神面や会話のネタとして、大きな影響を与えていることは確かです。
暇だから
何となく
意味なんてない
やりたいと思った
何かに挑戦する動機なんて何でもいい
やらなければわからないことが、そこにはたくさんあると思います。
やり続けることも、途中で辞めてもいいと思う。
とりあえず経験すること
ブレブレでもいいと思う。
ブレまくって色んな経験や価値観を感じることで、いつの間にか振れ幅が小さくなり、自分が作り上げられていくもんだと。
コロナ禍でまだ先が見えない若者の皆さんにはぜひやりたいことをやるチャンスだと考えてみてほしい。
親孝行のための就職は、先に取っておいても構わない。
いつ死ぬかわからないって?
自分だって、いつ死ぬかわかりません。
一見無意味なそのやりたいこと、やってみてください。きっと大きな意味を持ってきますので。。
さて、最後数日間端折りましたが、アメリカを歩く人編これにて完結です!!!
久しぶりに文章を書いてみましたが、自分の中では悲しいくらいにレベルが劣っており、何か残念な仕上がりになりましたが、良しとします。笑
また逢う日まで。
Osaka,Japan