先週金曜日のこと。

いつものように出勤準備をしていました。バイクのカギと携帯電話を持ち、財布を確認し、妻が作ったお弁当を左手にもって、カバンの中へいれました。

さすがにお盆を過ぎると、朝が涼しいなぁ・・・と思いながらバイクを走らせていました。

職場につき、これまたいつものように着替え、タイムカードを押し、
「あ、金曜日だし昼ご飯を頼んでおこう」と注文。

そしていつものように訪問リハビリがスタートし、いつものように終業しました。

しかし、家に帰り、そして寝る間際になって、


「弁当箱だしてないよ」と妻。

「えっ?今日は持っていってないやん。昼はそばを食べたやん・・・」

よくよくカバンを見てみると、しっかり弁当が入ってました。



まったく記憶になかった。

しっかり自分でいれたにも関わらず・・・・

「これ捨てるの嫌やな」といって処分する妻に申し訳ない気持ちになりました。




で、このエピソードは何を自分を教えようとしているのだろうか?




『認識してないものは、存在してない』ということ


もちろん物としては、そこに存在しているのだろうけれど、

個人の脳に認識されることがなければ、

あっても存在していない

という事象が起こります。


ごく当たり前のこと。

でも脳に器質的障害があるわけではないですよね。


同じようなことが高次脳機能障害で起こります。
認知症でも起こります。


大切なことは、あるかないかとか、持ってる持ってないとかではなく、
現在の事象をどのように認識しているかということ。

つまり、この世の中のことは「捉え方」次第で、いくらでも変化するということです。

評価や解釈は十人十色でOKともいえます。


いま読んでいる本にも、近いことが書かれていました



神さまとのおしゃべり -あなたの常識は、誰かの非常識-/ワニブックス
¥1,500
Amazon.co.jp