いま、私の息子は高校1年生。
陸上部で長距離を走っている。
入学して間もなく足を痛めてしまい、夏休みまで一度も記録会に出場できなかった。それでも夏合宿には参加している。
クラブのInstagramに上がっていた写真には、仲間たちから大きく離れ、一人だけ苦しそうな表情で走る息子の姿があった。
親として、その姿は胸が締めつけられる。
きっと今、つらいだろう。
どれだけ頑張っても追いつけない。
ダントツのビリを走り、
実力の差を見せつけられ、
「何のために走っているのだろう」と思っているかもしれない。
でも私は、挫折は決して無駄ではないと思っている。
自分の限界を知ること。
思うようにいかない現実と向き合うこと。
その経験は、必ず人生の糧になる。
なぜそう思うのか。
少しだけ、私の話をしたい。
小学校1年生の頃、私は圧倒的な落ちこぼれだった。
二けたの引き算ができず、テストで0点をとったことがある。
工作では時間内に作品が完成せず、歯磨き粉の箱に丸く切った厚紙を貼り付けただけの「車」を作り、みんなに笑われた。
運動会の徒競走は、いつもビリ。
そして、ひどいイジメを受けたこともあった。
自分には何ができるのか分からない。
頑張っても結果が出ない。
工夫しても変わらない。
そんなとき、人は本当に苦しくなる。
逃げたくなる。
だから私は思う。
逃げてもいい。
少し立ち止まってもいい。
手を抜いたっていい。
それは諦めることではない。
本当に大切にしたいものや、
本当にやりたいことを見つけるための時間なのだと思う。
私は、あの落ちこぼれだった頃の経験がある。
だからこそ、
弱い立場にいる人を信じることができる。
苦しんでいる人の可能性を信じることができる。
どんな人にも、まだ見えていない力があると心から思える。
その思いが、今の私の作業療法士としての原点になっている。
リハビリテーションとは、失ったものを見る仕事ではない。
その人の中に残っている可能性を信じる仕事だ。
だから私は、この仕事を定年まで続けたいと思っている。
これは息子へのメッセージであり、
そして今、苦しさの真ん中にいる誰かへのエールでもある。
今はビリでもいい。
今は0点でもいい。
その経験は、きっといつか誰かを支える力になる。





