おそらくですが、きっとだれもが幸せなんです。
なぜそう思ったかというと・・・
今日訪問リハビリで家族が言った一言。
「うちのおじいちゃん、朝起きてきて、コーヒーを飲む最初の一口が本当に幸せや!っていうんです」
素敵じゃないですか!!!
この利用者さん、身体がだんだん動かなくなって、「もうええわ。死んだ方が幸せや」ともいうんですね。(言ってること反対やん
)
でも、今朝はコーヒーを飲んで、至福のひと時を送っていた。
そんなもんですよね。
四六時中、不幸で苦しくて大変な人って、この日本ではきっといません。
海外では生死をさまよう過酷な環境があるかもしれませんが、日本人はきっと幸せです。
一日のなかで、幸せを感じる瞬間が必ずあるはずなんですよね。
感じることができないのは、感覚閾値が高くなり、鈍感になっているだけかもしれません。
生きているなかで、つらいことや悲しいことがあるのは当たり前ですし、楽しさや喜びを感じることも当たり前。
喜怒哀楽、四苦八苦、一喜一憂を味わえることも、幸せなことかもしれませんね。
死んだら何も味わえないんですから。
人生は味わうためにあるのかもしれません。
きっとだれもが幸せなんです
利用者様とその家族から教えてもらった教訓です。
なぜそう思ったかというと・・・
今日訪問リハビリで家族が言った一言。
「うちのおじいちゃん、朝起きてきて、コーヒーを飲む最初の一口が本当に幸せや!っていうんです」
素敵じゃないですか!!!
この利用者さん、身体がだんだん動かなくなって、「もうええわ。死んだ方が幸せや」ともいうんですね。(言ってること反対やん
)でも、今朝はコーヒーを飲んで、至福のひと時を送っていた。
そんなもんですよね。
四六時中、不幸で苦しくて大変な人って、この日本ではきっといません。
海外では生死をさまよう過酷な環境があるかもしれませんが、日本人はきっと幸せです。
一日のなかで、幸せを感じる瞬間が必ずあるはずなんですよね。
感じることができないのは、感覚閾値が高くなり、鈍感になっているだけかもしれません。
生きているなかで、つらいことや悲しいことがあるのは当たり前ですし、楽しさや喜びを感じることも当たり前。
喜怒哀楽、四苦八苦、一喜一憂を味わえることも、幸せなことかもしれませんね。
死んだら何も味わえないんですから。
人生は味わうためにあるのかもしれません。
きっとだれもが幸せなんです

利用者様とその家族から教えてもらった教訓です。