テレビや動画、小説、音楽、どのようなコンテンツにおいても、人はコンテンツに対して何を求めているかというと、ドラマを求めています。
視聴者は、主人公が挫折を味わったり、紆余曲折を経て最終的に成功するまでのストーリーを期待し、感動します。単に成功するだけのコンテンツには人気は集まらず、そこまでのストーリーが重要というわけです。
そうなると、そこに起こる事象1つ1つに対する主人公の一喜一憂、感情の起伏こそが、そのコンテンツの人気の源であると見ることができます。
僕が僕としてコンテンツを発信した場合に、情報価値こそあるもののそこに上乗せされるような人気が出ない理由もそこにあります。僕は基本的に一定の感情で事象を処理するので、これでは見ていて面白くないわけです。その世界において冷静沈着はゴミなのです。
そうなってくると、最近ドラクエ10界隈で、YouTube動画配信者がヒートアップしてつい暴言を吐いてしまいアカウントをBANされるといったことがよくあるようですが、これは動画というコンテンツの性質において正義であることになります。
逆にそれを禁止してしまうことは、感情の起伏が求められているコンテンツに対して感情の起伏を禁止しているわけですから、盛り上がるのはなかなか難しいということになります。
僕は僕が僕であることを諦めませんが、それが僕がコンテンツであることを難しくしているわけです。