誤解されたくないので申しますが

引退のリリースをする数分前まで

彼にプロレスをやる道を勧めていました。



つまり引退を引き止めてました。


まだまだ若い彼には
これからの未来があります。





毎月大会があるわけではない
私のようななんの影響力もない人間が
やっているファイティングサロンプロジェクトでは
物足りないのであれば、
他団体に移籍をしてもいいし、
そのためなら一緒に
頭を下げに行く旨も話しました。




しかし藤原の決意は固かったです。
なので、私は藤原の意向を尊重します。



ただ、みなさんもお分かりのように
藤原を預かるために作ったような
ファイティングサロンプロジェクト。





なぜか?
私が約7年前、フリーになったとき
「フリーになったら一緒に練習しようね」
と言っていた仲間達は
次々に私から去りました。
「ごめんね、やっぱり練習出来ない」って。



私はその仲間を恨んでないし
むしろ苦しめてしまったなと
今でも申し訳なく思います。

練習一つ出来ない状況。

宣材写真だって
一人でもスタジオを借りて、
カメラマンをお願いしたら
莫大なお金がかかるから
写真1枚すら撮れない。




悔しくて悲しくて
とんでもない孤独を私は味わいました。




だからこそ、
私は後輩がフリーになったとき
もしもそんな思いをするのてあれば
絶対に力になりたい!
そうずっと思っていました。





ひょんな御縁で私を頼った藤原龍志。

ポスター営業中
行く当てがなくどうしていいかわからない時
私を思い出して
連絡をくれたかわいい後輩です。







でも…そんな私の気持ちとは裏腹に
「引き抜き団体」
とバッシングを受けたこともありましたし
そのせいで
試合が無くなったこともあります。



だからこそ
ファイティングサロンプロジェクトを
やるにあたり
Evo女のオーディションは
私にとって最後の助かる船でした。





Evo女オーディションの涙の裏側に
こんなエピソードがあったのは
ほんの片隅に置いといてください。


さて、これからまた私は一人

旅に出るときが来ました。
私には仲間とか似合わないのかもしれません。
一人で散る運命なのかもしれません。

だったららしく狂い咲いて
見事に咲き誇りたいと思います!




散らば花のごとく!
まだまだ生きていきますよ。