縁日で忙しい私もこれだけは今日のうちに書き記したい。

今日でちょうど一ヶ月。
あのおぞましい暴力事件から一ヶ月が経ちました。

私の生活、心はあの日以来めちゃめちゃになり、DV男女は普通に暮らしていると考えると何て私は損をしたんだろう?人を助けるのは自己責任、被害者ぶるなと言われ何で私は誰からもかばってもらえなかったのだろうと思う。 

私のこの立場からこんな発言すると炎上商法とか言われてしまうのかもしれない。
あくまでも埼玉県で副住職しているお坊さんが人の道を考えているというということで聞いてほしい。


実はあの男女は夫婦じゃなかったのです。
実際のとこは法的に婚姻届を出していない同居人同士(パートナーと言っていた。)のただの男女。
その男女も仕切りに法律上は夫婦じゃない、籍は入ってないと主張。

ただネットに書く以上は少しした表現にも気を使うし、基本、夫婦の体系を法律献別姓等様々なスタイルがあるからという知識が邪魔をした。
私はいろんな事情があるから夫婦と言われたら、夫婦と認識している。

そう、あの二人は「ただの男女」にすぎなかった。
つまりあの日は旦那が妻に暴力を振るったのではなく「ただの男がただの女に鼻が潰れるまで暴力を振っていた事件。」

つまり夫婦間だからっていう理由で暴行がなかったという理由は適応されないのでは?と今日気づいた。

しかも男性は、警察官の胸ぐらを掴み、投げ飛ばそうと警察官に暴力まで働いている訳で、自分が実際暴力を受けたんだからあれだけの力で女性に暴力をふるったら死んじゃうこともわかったはずだ。

それに明らかだったのは、女性が社会的な支援が必要だったし、お風呂にも入れていない状況なのは近くにいれば誰でもわかる。

何とかして、この男女を警察署に連れては行けなかったのか?
何とかして女性をシェルターに連れていけなかったのか?

DVは「殴られてもひどいことをされても最終的に加害者のもとに戻るまで」がDVの症状である。
つまり、加害者のもとに戻るのなんか分かりきっているわけだ。
なのになぜ…

実は私のもとに、また警察に一緒に付き添ってDV被害を訴えたが、最終的にDVで加害者のもとに戻る被害者の姿を見て傷ついたという人が会いに来てくれたり、DVは周りの第三者も傷つき、苦しむ事例を数々知りました。

DVは加害者のもとに戻るまでが症状、これに対する対策はなんとかならないのか。


いまだに私だって電車で大きな声が聞こえたら、また誰かが殴られてるんじゃないかと怯えたり、ただのガラケーがナイフに見えたり、外出するにもたまにふとフラッシュバックするときがある。

DVは加害者だけをどうにかすればどうにかなるものではない。
被害者にも、そして第三者にもいろんな支援がいる。


あとこの一連の記事を読んだ浅草寺近辺に住む下町の方からメールをいただいたんだけどその方もおっしゃっていた。

警察も下町の警察やるなら、下町らしくすればよいと。
タオル貸すから交番寄って行きな、温かいお茶でも飲むかい?くらい声をかけてやればよい。人はマニュアルじゃないと。

周りで見ている人もそうだと。
本来なら商売人の親父さんが飛んできて、その男を取り押さえてしばき倒す。おかみさんがタオル持ってきて世話してやる。

コメントにも「浅草ならその男を男性たちでボコボコにするくらいだ。」とも頂きましたね。

もうどの人も古き良き下町の「いい意味での世話焼き」かなくなったと。

世話焼きこそ今一番大切なのかもしれない。

世話焼きが決してバカを見ない世の中になってほしい。

私はそう思う。