皆さん、おはようございます。

GWも終わり、カレンダーは平日。先週は休み疲れしてる人も多かったようですが、学校では体育祭や球技大会の開催が、企業では新入社員に一人で仕事をさせる時期を迎えてますね。

仕事や学校、がんばりましょう!

 

それでは、お話の続きを掲載します。罪のない人間はいないと言っても、その罪をどう受け止め穢れを改めるのか?

例え生きる世界が違っても、肉体を離れ最初に行きつくところはみんな同じだと言われてますから、人はそれぞれ、そこでどんな懺悔が待っているのかの違いじゃないでしょうかね(笑)

 

(随分とベースが横になってしまったので、こちらも読みやすく修正を施しました。)

 

◆ ~幽界における練獄所見(後編)~

 

前回に引き続き、大谷司完先生による霊界探訪録『天使の聲(こえ)』より、「幽界における練獄所見」の後編をお届けします。
大谷先生が「煉獄(れんごく)」という境界を訪れた時の体験談です。

「煉獄」とは、キリスト教で言うところの、“天国”あるいは“地獄”と現実界との間にある霊界の一部のことです。
この探訪録には「練獄」と表記されており、正しくは「煉獄」ではないかと思うのですが、修練の「練」という字を使ったことにも意味があるのかもしれませんので、そのままにしております。
それほどの大罪を犯した者ではなく、小さな罪を積んだ程度の者は、ひとまずこの煉獄界に落ちて、罪を洗い浄められます。そしてその後、罪が浄化されれば天国へ、浄化されなければ地獄へと振り分けられるのだそうです。
大谷司完先生は、天使に誘(いざな)われてこの「煉獄界」を訪れた時、こうした罪を持つ人間たちが、黒く汚れた石を、汚れた川で洗わせられている場所を見せられました。
この時、案内してくれたのが、ここで“現場監督”をしているらしき、大きなシェパード犬だったそうなのですが、この犬が大谷先生に語った内容が非常に重要なことと思われますので、ここに掲載することにした次第です。
なお、本文を掲載するにあたり、読みにくいと思われる漢字を平仮名に直すなど、若干の修正を加えてあります。

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「彼等には目醒める時期が廻ってくるのか?」『彼等には少しの油断もさせず、また休息も与えずに出来る限り厳しく監督をすることが、彼等に対する慈悲である。なまけ者を憐れんでいると少しも働かず、だんだんルンペンにまでも堕ちていくようなものであって、厳しくしていると、彼等は苦しまぎれの中から、犯した罪業の恐しさがおのずと自得出来て、反省の機会が与えられ、何かに頼る心を起こして来るものである。
そうなった時に彼等自身の眼にのみ感ずる、天より一種のひらめきが起こるので、大抵はそれに驚き、思わず知らず、ほとんど忘れていた神に祈る機会を与えられるのである。その時初めて彼等には悔い改めが出来るのであって、それさえ心から出来れば許されることになるのである』
以上の如き対話が終わると、私を別のところへ連れて行き、そこで一時休息をしたのであるが、その時いろいろと意志の交流をしてみたが、犬とはいえさすがに人霊を監督させられているだけに、素晴らしい能力があると思われたのであった。

その時、犬がいろいろと語ると同時に、嘆いていることもあったが、その要点は次の通りである。
『この頃、現世の人間はよほどだらしなくなったと見え、畜生界へ逆に堕ちて来るものが多くなったが、私たち犬の仲間は犬から犬へと生を享(う)けているが、それらは皆おとなしく忠実に働くので、徐々に昇らせて頂き、最後には人間界へ生を享けることが出来れば、これに越した幸せはまたとないのである。
しかし人間が死後、畜生道の仲間入りをするとは、なんということであろうか!
我々畜生は、人間界に生まれることを望んで修業をしているのであり、人間は天人になることを望んで修業することが天地自然の法則であるのに、その大切なことを知らぬ人間がいるのかと思うと、我々犬の仲間がせっかく修業をして人間界へ昇らせて頂いても、そのような人間の沢山住んでいることを考えると、なんとなく寂しくなって来るのであり、しかも畜生道へ堕ちて来る人間は、同じ犬の仲間でも大抵うるさがられており、またこの種の犬は前世で多くの怨(うらみ)をかっているので、霊界でも相手を見たらただちに喧嘩ばかりを致しており、むやみに強がりを示すので、仲間でもはぶかれ者になっているのである。
また彼等は、自分の意の如くにならんからと申して、あたるを幸い、他に噛みついて歩くので、犬の仲間でも気ちがい犬(狂犬)と言われているのである。彼等は犬になり下っておりながら、どこかに幾分かは、未だ人間の臭みが留存しているので、威張り散らす癖がぬけず、仲間では人犬と言って区別しております。霊界にいる間は頭のかっこうがやや人間に似ており、手足は犬同様なのである。

最近、現世にて自分達の仲間が、あるお家に飼われていたが、主人夫婦に大変可愛がられており、犬もその御恩に感じて昼夜その家をよく守っていたので、死んだ時には大変惜しまれ、お葬式までもしてもらい、何回となく供養を受けたので、今では人間界に生を享けさせて頂き、御恩返しのために前世で飼われたお家の女中になって、忠実に働いているのでありますが、そのお家は、あなた様の御存知の家であり、御祀りもされているお家なのでございます。
その者は卯年の女でありますから、どうか一度お調べ下されて、よろしくお願いを致します』
としみじみ語るのであった。

私には犬の語ったことに対して、ほぼ見当はついていたのであるが、かかる事柄は神秘に属することでもあり、たとえそのことが確実であっても、本人には勿論のこと、名指しをしての他言は、許されないのが当然のことなのである。
要は輪廻転生説の真実性に対して、証覚を得さしめんがための神の御はからいに他ならんと思考したのであった。
人は万物の長と申されているが、人間以下の動物とても神から生かされているのであり、各々天のお定めによるところの順序に従って、人類社会に何らかの形式によって貢献しているのである。
されば故なくして動物を虐待するが如きことがあってはならぬのであり、人間社会にたとえ少しでも尽してくれる彼等動物が、何らの場合に苦しんでいる有様を見た時には、人間としては出来るだけの面倒を見てやり、また助けてやってこそ人としての立場がたち、神に代わって万物救済の責任を果すこととなるのである。

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以上です。

これを読まれて、皆さんはどうお感じになりましたか?
「相手を見たらただちに喧嘩ばかりを致しており、むやみに強がりを示すので、仲間でもはぶかれ者になっている」
「彼等は、自分の意の如くにならんからと申して、あたるを幸い、他に噛みついて歩くので、犬の仲間でも気ちがい犬(狂犬)と言われている」
こういう人が最近、目立って増えてきたようですね。おそらくその死後は、煉獄界のようなところに堕ちて、己が犯した罪に気づくまで、石洗いの行をさせられるのでしょう。でも、それを監視・監督する犬たちも、次から次へとそういう人間が送られてくると、大変ですね。
また、大谷先生も「動物を虐待するが如きことがあってはならない」とおっしゃっていますが、優れた霊能者たちは皆、同様のことを説いています。今の社会に照らし合わせても、非常にこの言葉は重く響くのではないかと思います。
つまり、権力を手に横暴を奮うとどうなるか?自民党やその補完勢力の政治家をはじめ、国の為に命を落とす事を美化する愚弄者や、大企業のトップクラスで直接的な従業員だけに利を分け、パートナーや派遣で働いて下さってる方々への恩恵は無視していたり(本当にそういう企業が多いから私的しなくても分かっちゃうね)、学校の先生だとかいじめだとか、昨今問題となってる〇〇ハラのハラスメント当事者/被害者の気になってる人なんかもそうだけど、実際は人間誰しもが大なり小なりやらかしてるもんだよね。少なくとも、何かの理由でモノに当たって壊したり、子供の頃に泣きわめいて親を困らせたり~
ただ、自分たちの物差しではなく、ここでは「練獄」という世界で振り分けられる尺度があり、そこで初めて自分の罪深さや浅はかさを知るんだと思います。
気付けていたら、今からでも少しづつで良いので、改心しそれを(褒められなくても)行動で示して変わりましょう。

この話が何かのきっかけやヒントになると嬉しいです。