おはようございます。

 

黒子のしるべです

 

きょうは森戸さんです。

 

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黒子のしるべ君、ご紹介ありがとう!

こんにちは。

森戸美唯です🐄

 

 

皆さんは、リモート演劇をご存知でしょうか。

ZOOM演劇なんて呼ばれていたりもします。

要は、ZOOM画面を利用して演劇をしようというものです。

 

先に白状しますが、私は、これを観たことがありません。

理由は、演劇の生身に価値を見出しているからです。

 

状況を考えれば、演劇を愛する者として触れておくべきなのかもしれません。

でも、なんと言うべきか、ある種の意地のようなもので、これを演劇と認めてしまったら、自分の中の大切な価値観が壊れそうなのです。

文字にするほどに明らかですが、そんな価値観、大事にする必要すらありません。

だから、やはり、きっと、「意地」なんだと思います。

 

 

緊急事態宣言の頃から思っていることがあります。

コロナの影響が広まったのが、ネット回線が普及した現代だったのは不幸中の幸いだったかもしれないと。

 

技術進化は、生活・文化を生みだします。

リモート演劇も、技術進化による新生文化の一つと考えられるでしょう。

 

 

ただ、新しい技術に反発する人間は、過去、多くの時代に観測されています。

その理由は様々でしょうが、大なり小なり「意地」に似た感情が混ざっていることは多いように思います。

 

例えば、数値予報。

数値予報が導入された約60年前。

予報官にまるで信用されていない時代がありました。

単純に、性能が良くなかったことが理由です。

 

でも、当時について書かれた本を読むと、激動の時代を生きた予報官たちの誇りと「意地」を感じることが出来ます。

すなわち、これまで地図に鉛筆で行ってきた天気予報。機械には及ばない領域があるのだ、と。

 

しかし、現代はどうでしょう。

数値予報技術は、全ての天気予報のベースとなっています。

これも、性能が上がったことが主な理由です。

でも、心情的にも、数値予報と予報者を隔てる壁は、とても小さくなったのではないでしょうか。

 

技術は生まれ、進化し、日常として受け入れられたのです。

 

 

リモート演劇が今後どうなるのかはわかりません。

しかし、新しい形態として根付く可能性があるのは確かです。

 

もし、そうなら、私の意地は消し去るべきです。

はやく、順応すべきなのです。

ベタなカッコつけをしている場合ではないのです。

 

なんて、それでなんとかなるのなら、なんとかしてるんだけどさ。

 

 

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リモート演劇だったら、黒子も黒い服を着る必要がなくなるんですね。

じゃあ、“何”子になるんだろう?