2月13日のこと。
夫が
「O君は今、カニ釣りに行ってる」
「なんと、今日も仕事だったのに。こんなに寒いのにやっぱり好きなんだねぇ?」
「20から30はかたいって言ってた」
夕食の時にそんな会話をした。O君は夫の同僚である。
寝入りばな、突然緊急地震速報が鳴り、それは3.11を思い出させるほどの厳しい揺れだった。
「・・・ちょっと、Oさん海に行ってるよね?」
「大丈夫かな」
夫が連絡してみるとすぐ返事が来た。
「それが全く釣れなくて、おかしいと思って今までやってたんですが、諦めて片付けて車に乗った途端に揺れて・・・今、国道ですけど凄い混んでます。津波警報出てなくても皆上に逃げてます。自分も高い場所にもう来たので、途中で仮眠取って帰ります」
普段は、
「幼児でもたやすく釣れる」
というのだが、海の生き物たちは異変を感じていたようだ。
この時は同僚の無事と、津波の心配なしにホッとはしたものの、福島県下に住んでいる友人のお宅や、仙台の従兄の家では、冷蔵庫や食器棚が倒れたり襖が外れたり、随分被害が出たと聞いている。
津波がなかったのだけが幸いで、これ以降も最近は毎日のように
「震度4」「震度5」
などあちこちで地震が頻発していて、嫌な気持ちしかしない。
2月末。
夫が
「久しぶりに出かけてみるか?」
と誘ってくれた。
「どこに行くの」
「クリガニ釣り」
意外であった。
冬場に釣りなど考えもしないことで、ましてやこの間の地震の騒ぎの時のカニである。
「そもそも・・・クリガニって何?」
「蟹」
「カニ・・・釣るの?カニって」
今更調べると北海道など、北国の冬の味覚だそうで、
「毛ガニの仲間で美味しい」
私、甲殻類は苦手というか、幼少期より全く縁遠かった食材ですが・・・。
夫の故郷は日本海側なので、冬は
「ハタハタのあとは、ヤリイカと鱈」
なので
「クリガニは釣ったことがない」
この間の同僚の
「20から30はかたい」
という話が頭にあったらしい。
「そんなに獲れたらどうするの」
「汁よ」
「汁!」
「大鍋に作るのさ」
海育ちは豪快である。
餌はイカの切り身だの、魚の切り身でいいそうだ。
夫が冷蔵庫の塩鯖をパックごとクーラーに入れた。
「全部持ってくの?」
「餌にする時は大きく切るらしいんだ。すぐ無くなるよ」
釣れる時間帯が分からないが、
「子供でも釣れるということは、昼でもいいという事よね」
「どうだろうな、俺もやったことがないからわからないけど行ってみるか」
沿岸部との境界のトンネル手前までは
「ごっそり」
雪があったのに、トンネルを抜けると全く違う世界だった。
「ちょっと…なんで雪無いの?」
「こっちはいつも無雪地帯だ」
「なんでよ、山肌にすら雪無いなんておかしいよ」
「今年はウチの辺りは異常だったのさ」
「それにしても、こっちからウチの方に来る人達は違う意味でびっくりするだろうね」
海は綺麗で穏やかだった。ここは子供たちが小さい頃から毎年夏に遊びに来ていた場所である。
3.11の大津波で、水門の手前の斜面に建っていた家もろとも集落が全滅したところである。
ここに来たのは12年ぶりである。
手前は復興道路がとても高い所に走るようになり、その付近に新しい家が建っている。
港は被災前より綺麗になっていて、作業場の簡易建物が整然と並び、漁船も数多く係留されている。
目印の岩や、防潮堤はそのまま残っていた。
小さな小さな鳥居が岩の隅に置かれていたが、あくまで穏やかな海である。
風は冷たく、ここでは釣れなかった。覗き込むと小魚が群れているが、魚影は薄かった。
近くの小さな港に移動して、竿を出すが、カニ以前に何も全く釣れない。
同僚が釣ったという場所に移動する。
夫も初めてのカニ釣りなので、勝手が違うらしい。
置き竿にして、寒いので車内で竿を見ると、夫の竿にアタリが来た。
魚のアタリとはちょっと違う、控えな感じであるが、何かはかかっている。
「すぐ合わせるんじゃなくて、抱え込むのを待ってから・・・」
で、リールを巻き最後はタモに受け、初めてのクリガニが釣れた。
毛ガニより小振りだが、
「なるほど、毛ガニ」
続いて私の竿にもアタリが来て、釣り上げるとカニではなく、なぜかメバルであった。
「何でメバル?」
「面白いよなぁ」
その後もう一度私の竿がぴくぴくとなり、上げてみると今度こそクリガニであった。
密にはなっていないが、ここは街中にすぐ近くのメッカのようで、カニ狙いと思われる人たちが多くいた。
向こうから男の子が歩いてきた。小学校2年生くらいかな。
「こんにちは。何か釣れますか?」
夫が答える。
「カニだよ」
「朝から来てるんですけど、まだ2匹しか釣れなくて」
「こっちも2匹だよ、朝からやって2匹なの?」
「いつもはもっと釣れるんです。お母さんの大好物なので・・・」
「そうなの、まだ釣るの?」
「5時半までやります」
「釣れるといいね」
「ありがとうございました」
少年が走って戻っていく。
お父さんと来ていたようで、私たちが釣り上げたのを見ていたのかもしれない。
お父さんに
「やっぱり今日はみんな釣れてないみたい」
と報告しているのかもしれない。
「おかあさんの大好物じゃ、2匹じゃ足りないねぇ」
「こんなに寒いのに朝からやってたんだねぇ」
「帰ってからお母さんがどういう態度をとるか気になるね」
「ありがとうって言うかな、子供は自分でなくお母さん食べなよって言いそうだね」
海が近いということは、こういう事なのだ・・・と改めて思う。
都会のような遊び場がなくても、港へ行って釣りが出来る。
ましてや家族が好きな獲物が来ている時期は、楽しみと、釣れるまで待つ時間のもどかしさと、子供心にお母さんの喜ぶ顔が見たいのと、沢山釣れた時の誇らしさと・・・。
年恰好からして、3.11の惨状は知らないはずだが、聞かされているとも思う。
この少年は、きっと海を身近に感じながら育っていくのだろう。
月が昇って来た。
あっという間に闇が迫るが、月明かりは青くあたりを照らしている。伯母の亡くなった夜もこんなだったな。
結局釣れたのはそれっきりで、冷え込みも厳しくなってきたので帰途についた。
「2匹じゃどうにもならない」
と夫は嘆くが
「ふたつとも食べなよ」
と言う。
海の中で何かが起きているのは確実のようだし、久しぶりの遠出は、思うところも多くとても楽しかった。
翌朝、我が家はカニ汁と、メバルの煮付けで、夫によると、カニは実に美味だそうな。
海のお陰で大変贅沢な気分だった。
私は最後の林檎をタルトタタンにして、冬は終わった。
これからの日々が無事であることを、これまで以上に祈る日々になるような気がしている。