手 |  お転婆山姥今日もゆく

 お転婆山姥今日もゆく

 人間未満の山姥です。
 早く人間になりたい。

子供のお相手について。

 

出来る前から苦慮している人もいれば、出来ないのを苦慮している人、出来たら出来たでアレコレ苦慮している人、決まったら決まったでああだこうだ・・・。

 

ああ、こうやって母は姑、そしてババアとなるのか。

 

ワタシは特段苦に思わない変な人である。

ポジティブというのとは違う。

 

なるようになる。アンタタチでちゃんとしなさい。

 

そういう感じだ。

 

で、相手へ望む条件・・・ケッ、何様だ。

こちとら田舎もんよ、どこぞの家柄というのでもないし、大体、己を振り返れば・・・。

 

年収だのなんだの、愛の前には脆いものであるが、生活の前にはシビアでもある。

本当に大変だなや。

 

家事も自分の事もろくにしない奴が(男女問わず)、相手に多くを望むとはどういう了見か。

図々しい。

 

とまぁ、謙虚でありたいと思いつつも気が付くと言いたいことを言ってしまうのであるが、一番困るのは

「良かれと思って」

それは、当然我が子やその他係累となる人の幸せを願っての事だとしても

 

「コレコレこういうのは、風水的によくないからああせいこうせい」

 

「この宗教に入らなければ駄目」

 

そういう、押し付けである。

 

人として生きる上で、最低限の事、ワタシは、やっぱり

「生き物は皆口にしたものでできている」

が一番で、だから、食べることをいい加減にして欲しくないのだ。

別にご馳走を作れとか、完璧に家事をせよなど言う気も資格もない。

ただ、せめて

「お米研いでね」

なのである。

 

ある時、ある女性がぴらぴらとワタシの前に手を出してきた。
その手はシミひとつなく、更に爪にはネイルアートが施してあった。

「今度一緒に行きません?」

ワタシと同い年の彼女に悪気などないのだ。

でも、ワタシは途端にイラついた。

「行きません」

「あら、どうしてですぅ?」

「怖くてとてもとても・・・」

「怖くないですよぉ、マッサージもしてもらえるし・・・」

「そうじゃなくて、どうやって米研ぐんですか?」

ネイルアートの実態など知りたくもない。
爪に何かしらつけて飾る神経がわからない。
100歩譲って米を研ぐ必要のない生活だとしても、だ。

例えば、長いこと病気で入院されていたり、そういう方がせめてものお洒落を楽しみたいというならわかる。

が、日常生活を営んでいる人がなぜ爪にアレコレ塗り、くっつけ、それを眺めてうっとりできるのか・・・。

どれだけ強固に塗り物を接着しているかなど知らない。

嬉々としている女性と、そういう女を良しとして付き合う男。

嫌い。ほんっと嫌い。

疑問を感じない鈍感さが一番恐ろしい。

ハナクソをほじったのが、根元深くこびりつくであろう。

え? そんなことしませんって?

 

そうでなくても、アカが溜るだろうよ。爪を綺麗にするという意味が違い過ぎる。

 

段々ムカついてくるので止めるが、先日息子が来て言うには、Yちゃんは

「毎日弁当作ってくれる」

 

彼女は息子と同居している場所からでは、車で一時間程度離れた支店に勤務しているで、朝晩通うのだけでも大変だと思うのだが、息子との暮らしを選んでくれた。

 

「えー、忙しいだろうに、行き帰りで時間喰って、ゆっくりも出来ないだろうに・・ありがたいねぇ」

「だから俺もたまに作る」

「当たり前だ。寄りかかるだけではすぐ両方が倒れてしまう」

 

とにもかくにも、食べることを粗末にするのは生きることを粗末にすることで、幸せは来ないよ普通は。

 

Yちゃんはいつも清楚で、色が白いのでリップを塗るくらいだし、爪は艶出しも塗っていない。

妹さんもほっこり可愛らしくて、実に素敵だ。

 

彼女らの手がやがて、荒れていくのかもしれないと思うと切ないのだが、好きな人のために惜しまない

「手」

というのはとても素敵だと思う。

 

で、Yちゃんの

「好きな人」

というのが、我が息子であるというのがなんともいやはや・・・息子よ、幸せにしなさいよ!!!と、ケツを叩く思いなのである。