遺影のお父様はとても柔和な笑顔だが、婿殿によると
「本当に厳格な父でした」
納棺前にシャンプーなどする際に、係の人が
「お父様の頭を洗ったことはありますか」
などと気を使って遺族に聞くのだが、
「ないです。頭など触ろうものなら・・・」
「厳格」という言葉が婿殿の口から何度も出た。妻であるお母様もうなずく。
頭がとてもよくて勉強もできたが、家庭の事情で進学をあきらめていたのを、お姉さんがたが働いて学資を稼ぎ、弟を大学に行かせたのだそうだ。
お父様の年齢と時代を考えると、さもありなんと思うが、その分期待にこたえようと自分にも相手にも厳しかったのかもしれない。
納棺は無事に済み、その日は土曜日だったが火葬と「お別れ会」は一日置いた月曜日だそうだ。
そのあともしばらくはバタバタされると思うと、傷ましい気持ちになる。
私たちはこれにて辞することにした。先に元亭が帰っていった。二言、三言言葉を交わした。
殆どどうでもいい話である。
「元気でね」と別れた。
見送って戸が閉まってから思わず声が出た。
「別れた男と、話したわー」
お母様が驚き、息子と娘が笑った。
「ねー、あの時は話もしなかったもんね」
と娘が言う。
あの時、とは、息子の嫁さんのご家族との顔合わせの時だ。
「時間というものは、ありがたいものよね」
と言うと、子供たちがほっとしたような顔になった。
元亭がどんな気持ちだったかはわからない。
それぞれの立場、彼らの気持ちは彼らにしかわからない。
「失礼ですが、こういう場で元の家族が集まれる・・・ご縁をありがたいと思います」
とお母様に頭を下げた。
「落ち着かれたら、今度は盛岡でお会いしましょう」
「楽しみにしています、遠いところ本当にありがとうございました」
S家の人たちに見送られ、息子と辞した。
「さて、お昼でもどこかで食べて、ゆっくり帰りますか」
「何喰おうか」
「アンタが食べたいものでいいのよ」
「体調は良いの?」
「この頃は加減がわかってきたから、大丈夫よ」
しばらく走って息子が連れて行ってくれたのは、
「週2でYと来ていたんだ」
という、アパートと通っていた大学の中間にある、煮干し節系のがっつりしたラーメン屋さんであった。
卒業以来だそうだが、かれこれ10年以上前の話だという。
「変わってないな」
という店内は、混んでいた。濃いラーメンは久しぶりだったが、とても美味しいと感じ、気が付くと完食していた。
時は流れ、一周回って、そうして何となく近寄ってまた散っていく。
それぞれの生きる場所があって、出来て、よかった。それを確認出来て、よかった。
帰途も息子がずっと運転し、私はいつの間にか寝落ちしていて、目が覚めるともうインターを降りるところだった。
「今日はありがとう、お疲れ様だったね」
「んじゃ、また」
そしてすぐ、おはぎが到来し喧騒が始まった。息子夫婦は東京へ一泊で出かけて行ったのだった(笑)。