命の炎を燃やして生きる | 致知出版社公式アメーバブログ
おはようございます

『致知』11月号にて、大きな感動を呼んでいる
「足無し禅師」とよばれた小澤道雄さん



道雄さんのお話は、
『致知』2007年3月号 特集「命の炎を燃やして生きる」
の特集総リードでもご紹介させていただき、
多くの感動の声をお寄せいただきました。

本日は特別に、2007年3月号の
特集総リードをご紹介いたします♪


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「足なし禅師」と呼ばれた禅僧がいた。
小沢道雄師。大正9年生まれ。

幼年期、曹洞宗の専門道場で修行。
20歳で召集を受け満州へ。
昭和20年、25歳で敗戦。シベリアに抑留され強制労働。

だが、肩に受けた銃創が悪化し、
役立たずは不要とばかり無蓋(むがい)の貨車で
牡丹江の旧日本陸軍病院に後送される。

氷点下4、50度の酷寒に夏服のままで、
支給された食料は黒パン1個、飲み水もままならず、
3日間を費やした行程で死者が続出した。

小沢師は死こそ免れたが、両足が凍傷に侵された。

 膝から切断しなければ助からない。

その手術の担当軍医は内科医で
外科手術はそれが初めて。
麻酔薬もない。

メスを執った軍医が
しばらく祈るように目を閉じた姿を見て、
小沢師はこの軍医に切られるなら
本望だと思い定めた。

 想像を絶する激痛。

歯がギリギリ噛み合い、
全身がギシッと軋(きし)んで硬直した。

すさまじい痛みは1か月余続いた。


8月に突然の帰国命令。
歩けない者は担架に担がれ、
牡丹江からハルビン、
奉天を経てコロ島まで、
1,500kmを徒歩で行くことになった。

だが、出発して3日目の朝、
目を覚ますと周りには誰もいなかった。
満州の荒野に置き去りにされたのだ。

あらん限りの大声で叫んだ。

折よく通りかかった北満から
引き揚げ途中の開拓団に救われたのは
僥倖というほかはなかった。

崖っぷちを辿るようにして奇跡的に帰国した小澤師は、
福岡で再手術を受け、故郷相模原の病院に送られた。

母と弟が面会に来た。

 「こんな体になって帰ってきました。
 いっそのこと死のうと思いましたが、
 帰ってきました」


言うと、母は膝までの包帯に包まれた脚を撫で、
小さく言った。


 「よう帰ってきたなあ」


 母と弟が帰ったあと、
小沢師は毛布をかぶり、声を殺して泣いた。

 懊悩の日は続いた。

 気持ちはどうしても死に傾く。
その果てに湧き上がってきた思いがあった。

 比べるから苦しむのだ。

 比べる元は27年前に生まれたことにある。
27年前に生まれたことを止めて、
今日生まれたことにしよう。

両足切断の姿で今日生まれたのだ。

そうだ、本日たったいま誕生したのだ。

足がどんなに痛く、足がなく動けなくとも、
痛いまんま、足がないまんま、動けないまんま、
生まれてきたのだから、何も言うことなし。

本日ただいま誕生!

深い深い覚悟である。

一、微笑を絶やさない
一、人の話を素直に聞こう
一、親切にしよう
一、絶対に怒らない


小沢師はこの4つを心に決め、
58年の生涯を貫いた。

命の炎を燃やして生き抜いた足なし禅師の人生だった。

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絶望の中で得た深い深い悟りの境地に
心から感動しました。

『致知』11月号では、
この小澤道雄さんの生涯を奥様の
小澤道仙さんに語っていただいております。


ぜひ誌面でお楽しみください


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