26/05/03(日)礼拝説教
旧約創世記4:23-24、新約マタイ福音書18:21-35
「何度赦すべきか」

 

 聖書箇所は、ペトロが主イエスに、「兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか」との問いで始まります。
 この時代の許しの回数に関しては、ヨブ記33:29に倣って、同じ人への許しは三度までで十分であると考えられていました。このような価値観の中で、ペトロが「七回赦すべきか」と問うたことも素晴らしいが、主イエスは「七の七十倍までも赦しなさい」と言われています。七の七十倍赦すということは、赦しの回数を数えることを無意味にする無限の許しを顕わします。さらに「この場合には」というような条件が一切付けられていないので、どのような罪に対しても寛容に許しを与えるべきであることを主イエスは示されるのです。
 この前提としては、神は人に対してまさにこのような許しを与えられえているのであり、この神理解に立って人間関係を築くことを示されるのです。それは「敵をも愛せ」という教え(5:44)に通じます。「七の七十倍」は創世記4:24による聖句で、報復ではなく赦しが強調されます。
 続くたとえ話では、王は到底返済できない膨大な借金一万デナリオンを持つ家来を赦します。一万タラントンとは、ヘロデ大王の年収九百タラントンの10年分以上の額で、非常に大きな金額であったことが分かります。
 ところがこの家来は、彼に借りのある仲間に遭うと、自分が赦してもらった額の僅か五十万分の一の貸しを厳しく攻め立て、仲間を牢屋に入れました。王の無限の赦しと、赦されても感謝の心を持たずに仲間を苦しめる家来の無慈悲さの話が対比的に記されます。そして、家来は王に一端赦されたにもかかわらず、捕らえられて牢に入れられます。
 

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