アイドルの物語に乗っかって楽しむことについて考えてみた件。 | おたるつ

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モノホンのおたくにジャンルは関係ねえはずだ!
ってわけで、おたくのるつぼ。略しておたるつ

物語に乗っかって楽しむ、というと絶対怒る人がいると思うんだけど、
そういう人は物語に埋没しているんだと思う。
外から見ることができないくらい埋没して楽しんでいるんだと思う。
今日は、そんな最近モヤモヤ考えていることを知らない誰かや、
知ってる誰かに嫌われながら書き留めてみようかと思う。

カスタマイZのツアーファイナル。
肺気胸で離脱中のHAMAくんがサプライズで登場して謝罪と感謝、
それと手術することを報告した。

あまりのエモーショナルな展開に泣いた。
帰り際、「いい物語に乗っからせてもらってるなあ」と漏らしたら、
そばにいた誰かに「物語に乗る?」と聞き返された。

物語に乗っかって楽しむ、という楽しみ方がある。
今まで結構、この感覚をいろんなジャンルのヲタクと共有してきた気がするんだけど、
どうにも男子アイドル界隈では共有できない気がして、なるべく言わないようにしている。
まあ、今日書いちゃうけど。
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ももクロに積極的に行かなくなって、S☆スパ以外のスタダユニット
全部の現場へ足を運んだDD全盛期2013後半―2014年。

私が腰を据えようと思ったのはカスタマイZだった。
いろいろおもしろい要素はある。

だけどなんてことはない。
カスタマイズが事実上解散して、カスタマイZとして再始動した時に
在宅ながら居合わせたから、物語に乗っかりやすかった。
タイミングだと思う。

物語として楽しむとは、点と点を自分でつなぎ合わせることだと思う。
ももクロの物語性がわかりやすいと思うんだけど、
2012年に念願の紅白初出場を果たしたのは、まさしくももクロを知る人にとっては
「念願の」「果たした」物語だったはずだ。

それは、早見あかりちゃん脱退、動員倍々ゲーム、2011年紅白出場ならず、
さらなる動員倍々ゲームからの初出場。
そして、無印時代の「怪盗少女」に込められた、あかりんへのメッセージ。

あの紅白のステージまでの出来事を一切知らない人にとっては
「へえ、これがももクロか。元気だね」にしか見えないが、
ももクロを追ってきた人にとっては、「あかりんとの約束」という号泣必至の物語なんである。

1つの対象を、時間をかけて見る。
語られること、語られない行間を想像して紡ぎ合わせていき、事実か否かは別にして
意味を見出すこと。
これが物語として楽しむということだと思う。
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物語として楽しむことができるのは何も、
カスタマイZ(今日は便宜上アイドルって言っちゃう)やももクロといった、
アイドルに限ったことではない。

サッカー、野球、プロレス、競馬……。
試合やライブのような瞬間的な楽しさとは別に、物語を見出して
勝手に感動できる要素がある。

現に私は、アイドルにハマるまで名古屋グランパスのサポーターだった。
ゴール裏に通ったのは10年くらい。
一時期はユースの試合にも足を運んでいて、
選手の寮の料理人にチケットもらうくらいの濃いサポ生活を送っていた。

ところが、アイドルのライブに行き圧倒される。

ここに……ここに常に7-0で勝てる試合がある……!!

こうやって、コロッとドルヲタ人生が始まったわけです。

アイドルの物語性は強い。
しかも起承転結のスパンが早い。
あっという間にイントロで泣ける体になる。

平日はtwitterで一喜一憂して週末はライブへ行って、
半年に1回くらいライブの挨拶かなんかで号泣する。
だいたい推しちゃんの誕生日には本人、もしくは誰かのブログで泣く。

サッカーにハマってたときよりずっと、中毒性が高い。
物語性が強いのはなぜか。

アイドルのライブは7-0で勝てる。
それは得点を邪魔する相手がいないからだ。
いいプレーをすればどんどん点が入る。
だんだん歌がうまくなり、ダンスがうまくなり、ヲタが増えていく(理想)。

これだけでも十分、物語になっているんだけど、そこじゃない。
運営が仕掛ける目標や壁、障害を乗り越えようとする姿と、そこで垣間見える
人間性が物語を加速させる。
大箱ライブ、過酷なツアー、総選挙、○○達成しなかったら○○。
運営が仕掛けるわけじゃないけど、卒業もそう。

苦境に立たされた推しちゃんを応援するヲタ。
誰かが作った起承転結じゃない、誰かが見終わった映画じゃないドラマが、
目の前で繰り広げられる。
応援していれば、自分もそのドラマの登場人物になって感動を共有させてもらえる。
挨拶でだいたい泣く。推しちゃんの、推しグループの歩む物語にドップリ浸かって、
まるで自分のことかのように泣いたり笑ったりしている。

まあ、このように踊らされていると知りながらも、楽しくて仕方がないうちはいい。
私はある時期、大箱目標宣言がバカバカしいな、と思うようになった。

どこのグループにもだいたい中長期的な目標がある。
それが大箱だと萎える。
なんでかというと、埋められるかどうかと運営がやるかやらないかっていう問題で、
誰かや何かに認められたり選ばれたりするものじゃないからだ。
完全に物語づくりのための目標じゃん。
○○できなかったら解散! とかも、推してるとこでやられたら冷めるだろうなあ。
脚本が良くないよ、脚本が。
もちろん、細かいのを拾っていけばいくらでもあるけど、
やっぱり大筋に乗れてないとおもしろくない。
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ここで、カスタマイZの話に戻るのだけど、
カスタマイZには仕掛けてもいないドラマが起こるわりに、
仕掛けられたドラマはズッコケ感がすごい。

先ほど嫌悪感を示した大箱目標宣言がカスタマイZにもある。
さいたまスーパーアリーナだ。

ちなみに改修のため、今年度中に閉鎖が予定されている。

いやいや、あくまで閉鎖は改修のための数ヶ月なんだけど、
なんだろう、このズッコケ感。安心する。

今回リリースしたメジャーセカンドシングル「レクイエムー鎮魂歌―」は
オリコンウィークリーチャート5位以内に入らなければ、
昨年108カ所のレコード店に挨拶回りに行ったお遍路の旅リターンズ、という
物語が仕掛けてあった。

ここのズッコケポイントは、目標が高いのにリリースイベントが少なくて、
最初からお遍路が決まっているような空気感がずーっと流れていたことかな。

結果的にお遍路リターンズが決定したんだけど、
その内容が7泊8日かけて小豆島を歩いて1周という、電波少年みたいな企画で、
私は気持ちよくズッコケることができた。
音楽はどこに置いていってしまうんだ。ズコーッ

そして、最大のドラマはボーカルのHAMAくんが肺気胸を再発させてしまい、
離脱したこと。

実際、本人は病気で苦しいわけだから、あんまりドラマチックだ!!と言うのは
下品だとはわかっているんだけど、それに起因していろんな感情が
揺さぶられているのは事実。

今はまだ療養中で、この困難を乗り越えている最中だけど、
HAMAくんが元気になって戻ってきた後は、きっと飲み屋で涙ながらに
この物語を振り返って、「カスタマイZって本当に最高だよね!」と語らい、
生写真を取り出して拝むだろう。
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今年のAKBの総選挙は全く見ないまま終わってしまったが、
ドキュメンタリー映画は全部見ている。
認めるか認めないかは別として、総選挙の残酷ショーはおもしろい。

入り込めば入り込むほど、おもしろがれないと思うだろうけど、
おもしろく思えないってことは、もうドップリ浸かって楽しんでるってことなわけで。

私は、アイドルたちが苦境に立たされているのに思いっきり感情移入して泣ける一方で、
その状況が物語としておもしろいなあ、とも思っている。

むしろ、それだけあればいい。
一緒に泣いて笑えればそれでいい。

活動できなくなると困るので、売れて欲しくないとは思わないが、正直どうでもいい。
オリコンの順位も、売上枚数も興味が無い。
あるとすれば、推しちゃんたちが、それに対してどんなリアクションをするかだけだな。
だって、そこには喜怒哀楽があって物語があるから。

最近、そう思う自分をわりと客観的に考えて楽しんでいる。
享楽的だなあ、と思う。
すごいイヤな楽しみ方してると思われても仕方ないのだろう。

だけどこの件に関して逡巡の果てに辿り着くのはいつも、
生き様見せてくれてありがとう。

ありがとう、になる。
何か望みがあるなら叶えたい。

CDを買おうか、チケットを買おうか? 
とびっきりの、生き様の物語を見せて欲しい。

やっぱCD買うしかない。