今回紹介する記事は
2024年4月12日付けの
 
「毎日新聞」の記事です。
  
【没後10年の新作】


というタイトルで、
論説委員小倉孝保氏が、
世界史の一コマを生きるに過ぎない私たちに、
後世の興味、
研究まで封じる権利はないことについて、
紹介しています。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

  ☆新聞記事の紹介について

(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 カフカは死後、
多くの作家に影響を与えた。

米国のマラマッドやサリンジャーは、
好きな作家としてこのチェコ人の名を挙げた。

 コロンビアのガルシア・マルケスもそうだった。

17歳で初めて小説を書いたのは、
カフカの代表作「変身」を読んだ直後である。

その後、
ジャーナリストを経て作家となった。

 祖父母から聞いた民間伝承や戦争体験をもとに1967年、
「百年の孤独」を敢行し、
絶賛される。

ラテン文学ブームをけん引し、
1982年にはノーベル文学賞を受けた。

 最晩年の原稿が「8月に会う」だ。

2003年ごろ、
執筆にかかると記憶力低下の症状が出た。

認知症だった。

病と闘いながら書いたものの、
出来には満足しなかった。

自分が死んだら破棄するよう2人の息子に託している。

 「史上最も偉大なコロンビア人」と呼ばれた作家の死から今年で10年だ。

破棄されたはずの原稿が先月、
各国で出版された。

翻訳タイトルは、
「出会いはいつも八月」である。

息子たちは、
「お金のために原稿を売るのか」
と批判されながら、
作品を世に問うた。

 中年の既婚女性がカリフの島に墓参に出かけ、
同年代の男性に心を寄せる物語だ。

ガルシア・マルケスの後年の指導を探るには欠かせない作品である。

 不完全な原稿を残したくないと考える作家は少なくない。

ロシアのゴーゴリは亡くなる数日前に「死せる魂」の一部を焼いた。

 カフカも臨終の際、
友人に遺稿の焼却を依頼する。

しかし、
この友は未完の原稿を整理し、
「城」 「訴訟」 を出版した。

カフカの評価が高まったのは没後である。

 「8月に会う」は破棄されるべきだったのか。

私たちは、
「芸術は誰のものか」という難題を突きつけられる。

 作品は死後、
いずれかの時点で個人の手を離れ、
人類の共有財産になる。

発表せずという選択はまだしも、
破棄や焼却は避けるべきではないか。

 ガルシア・マルケスほどの作家が認知症になった時、
何を考え、
どう感じていたか。

世界史の一コマを生きるに過ぎない私たちに、
後世の興味、
研究まで封じる権利はない。

 今年はカフカが亡くなって100年である。

「城」 「訴訟」は、
後の芸術家が繰り返し映像・舞台化している。

ガルシア・マルケスの新作もきっと将来、
新たなアートを生むのだろう。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

評価が高まるのは没後であることについて、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

この記事に出てくる人物は、
聞いたことがある者もいるし、
この記事で知った者もいる。

不完全な原稿を残したくないと考える作家は少なくない。

カフカもガルシア・マルケスもゴーゴリも…。

されど、
本人の死後に未完の原稿が出版されることは往々にしてある。

そして、
新たなアートを生むという皮肉な結果が繰り返される。

都合の悪い公文書や証拠を隠蔽・廃棄ばかりして、
国民の知る権利を踏み躙る国に生きる者の一人としては、
作品の破棄及び焼却は避けるべきだという意見に同意する。

人類の共有財産。

この言葉がもっと世の中に知れ渡ってほしい。


(4)今後、どうするか?    

・小倉孝保氏に関する記事をスクラップする。

・記事に出てきた作家に関して調べる。

・人類の共有財産という言葉を大切にする。


…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  

小倉孝保氏に関する記事は、
以前も紹介しました。

作品は死後、
個人の手を離れ、
人類の共有財産になる。

この考えは、
他の分野においても波及することを願わずにはいられません。



皆さんも、
人類の共有財産という言葉を大切にして下さい。

公文書隠蔽・改竄・廃棄が当たり前になってしまった国においては、
一つ一つやり直していくしかないのですから。